信仰と癒しで最も困難なところ | 優しさがいちばん

信仰と癒しで最も困難なところ

聖書では神の子として条件が揃っていれば(エホバの神を愛し、隣人を愛し、神を恐れ、敬虔で、イエス様への信頼を第一に)強い信仰があれば、まだ実現していなくとも、必ず実現すると信じれば、(癒しの)祈りでも、必ず実現するとの約束がある。

さて、幼い子供が辛い病気になった時に、信仰による祈りで、必ず癒されると信じれば、

人為的な医師による治療をしない方がいいのだろうか?

癒しの信仰があれば、医師に頼った場合、これは信仰による癒しを信じていないことになってしまう。

信じたら癒しが起きると思い、そのように行動した場合、医師の治療を受けるべきだろうか?

 

特殊な宗派をのぞいてイエス様を信じるプロテスタントのクリスチャンのほぼ全員が医者による

治癒を選ぶだろう。イエス様はこれを”信仰の小さきものよ”と行って叱るだろうか?

論理的に言えばそうなる。

しかし子供へらの愛が優先されるのはイエス様は愛の神様だから許してくれると

思いたいのが人の心情だろう。

これは隣人(家族を含む)への愛がイエス様の愛よりも優先することになるだろうか?

 

アブラハムなどの子供の生贄は何を教えているか?

それはまず神を恐れて子供よりも神を先に考えろと教えている。

しかしその教えに服従できないのが

家族の愛を優先する人の常である。

 

答えはわからない。