いくら考えても新約聖書がその権威が証明できない
手紙の集合体である新約聖書が自分自身を聖書だということは無理がある。
その大多数の著者であるパウロは自分自身で自己弁護の証言をしているだけで
第三者の支持がない。パウロが自分の手紙はイエスキリストから導かれたと言っているにすぎない。
他の多くの異端キリスト教が自分を正当化しているのと同じやり方だ。
そうだったらその内容で判断するしかないが
パウロはあらゆる権威が神からきていると明らかな間違いを主張している。
ローマンカトリックやスターリンや毛沢東やヒットラーの権威が神からきているはずがない。
またパウロや女性を男性の下に貶めている。それも間違いだ。
こんな間違いだらけの思想がイエス・キリストからきているはずがない。
それらは一番大切な愛からきていない。