聖書を自分の思うように読んでいいか?
イエス様は言っている。メシアは生まれ故郷では理解されない。
生誕の時には東方の三博士がきて祝ったというのにそのことは忘れられてしばらく
ただの人として育ったようである。
さて、戒めの中で何が一番大事だと弟子に問われた時に
天の父を第一番に、第二番には隣人を愛せと言われているのだが
イエス様の教えを受けたクリスチャンとしては
当然、家族を2番目か、場合によっては1番目にあげていても批難されないだろう。
協会員のほとんどがまずは神様を第一にそして
自分の家庭が2番目、そして協会員、そしてそのほかの人たちという
優先順位に置いている。
そのような生活態度、習慣に基づいた聖書の読み方は正当化されるのだろうか?