三位一体の説くところ | 優しさがいちばん

三位一体の説くところ

カトリックの作り上げた使徒信条のなかに

三位一体を信じるという箇所があるが使徒信条をプロテスタントが

そのままつかっているのもおかしなものだ。

おおくは牧師も平信徒も考えることなしに盲目的にそのまま繰り返すのみである。

考えないのがクリスチャンの特質だからしかたがない。

 

それにしても結果として三位一体は本質的に重要なのである。

http://nohboh.cside.com/uchinada/semi/semi.htm

の解説に

ところで、なぜ、そのように信じることができるのか。なによりも、聖書の言葉が、主 イエスの言葉を私たちに示して下さり、約束をなさっておられるからです。特にこの聖霊 なる神様の働きのことがヨハネによる福音書において主イエス・キリストが弟子たちに向 けて説明をなさっておられるのです。先程、読んで下さいましたヨハネによる福音書14 章15節から聖霊なる神様というものが私たちにどのような働きをして下さるのかが語ら れています。特にこのヨハネによる福音書14章の場面は、主イエスが十字架に付けられ る前日の出来事として、ご自分の弟子たちに語っておられるものです。主イエスがこの世 からいなくなる、弟子たちの目の前から消えてなくなる状況の中で語られた言葉でありま した。いわゆる主イエスの別れの説教であり、遺言であったのです。弟子たちは折角、今 まで師匠として主イエスを頼りにして信じて従っていたのに、それなのに、突然十字架に 付けられると言われる。死んでいなくなってしまうと言われる。この時弟子たちは危機感 を持って、絶望していたことでしょう。孤独になり、目の前が真っ暗になっていたのです 。頼りにしていたお方であり、この人ならばどこにでもついて行くことができると考えて いたお方なのに、弟子たちは寂しい思いで一杯でありました。しかしながら、主イエスは 別れの説教の中で14章18節で「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。 あなたがたのところに戻って来る。」と慰めの言葉を語られていました。主イエス・キリ ストは今別れを告げておられます。残された弟子たちは、親に捨てられたみなしごのよう な寂しさ、せつなさに耐えることができないような深い悲しみを抱いていたことでしょう 。けれども、主イエスは「あなたを放ってはおかない。あなたがたのところに戻って来る 」と約束して下さいました。これはどういう意味なのでしょうか。19節においては「し ばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。」と語られ ています。これは、明らかに主イエスが十字架に付けられて殺されるけれども、蘇られる ことを弟子たちに告げておられるのです。

 

つまりイエスが天国にひきあげられる替わりに助け主(聖霊)をおくるというのが

キーポイントなのだ。

使徒信条ではそんなことを理解せずに強制的にいわされていて

しかも助け手の約束とその確認には無頓着状態にされているのだ。

これは教会の怠慢なのだが

牧師からして体感できていないのだから教会の怠慢を責めることもできないのが

現実だ。