イエスが天にもどったのは助け主をおくるため
ヨハネ16:17には私達クリスチャンに助け主をおくるためだと明記してある。
それなのにローマンカトリックは法王に従うように捻じ曲げてしまった。
プロテスタントはどうかというとローマ法王のかわりに聖書に従うように曲げてしまった。
もっとくわしく ヨハネ16−17では
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。・・・その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」
これが新約聖書が本当におしえているところではないか?
おおかたの教会ではそんなことはおしえていない?
いやあの悪名高いチョー・ヨンギのところではそうでもないか?
カリフォルニア星教会のところでは聖霊充満というチョーヨンギのところからの
メッセージがかかげてあったっけ。
聖霊の賦与についてはまとめたブログがある。ここ。
自然の聖書の読み方ではそうなるのだが、これを実証しようとすると
むつかしくなり、わたしはいままでうまくいかなかった。
うなくいかないでこのままこの世にいなくなってしまうかもしれないが
最後のちからを振り絞って考えていこうとおもう。
この理解が中途半端でおわったら
わたしが1979年にシカゴ郊外で
故東泰男目牧師から洗礼をうけて
クリスチャンがなったのは無駄なことだったということになる。