こんなカトリックの聖書解釈もある。敵意むきだしの解説・
外からみてカトリック教会は一般信徒にたいしてはプロテスタントほど聖書の内容に
たちいらないと思うのだが、その神父たちがどのように聖書をとらえているのかを知る
興味深いサイトがある。
笹倉キリスト教会 笹倉正義というサイトだ。
引用するまえに注意するのはこの笹倉というかたは
新約聖書は取り扱い説明書の意味しかなく、
なかに異端の考えが多数含まれていると
敵意むき出しの愛に欠けた態度で執筆していることだ:
以下一部分を引用する。宗派による仲違いというものはこれほどに
敵意をむき出しにしていることがよくわかる。同じクリスチャンである隣人をこれほどまでに憎むとは。
「錯誤」それが、「ヨハネによる福音書」の源である。
。。。
ピリポ派、ヨハネの名を冠した少数異端
ピリポ派は、イエスの神聖の証人である聖母マリヤとペテロ、また栄光のイエスの僕となったパウロたちとは異質の存在である。
。。。
新約聖書の各所に施された、「世の終わり」と「再臨」という言葉は、ピリポ派のしわざである。
。。。
主流派の福音書のイエスは、望みがあるときは、何度でも、何度でも訴えなさい。そうすれば、門は開かれるであろうと教えられたのである。しかるに、ピリポ派はそれを否定し、神への求めを安直なものに変えてしまった。
この二つの異端によって、キリスト教がローマにおいて拡大していく時、デマの源となりあるいは親衛隊による信徒の取り締まりに利用されて、大いに迷惑をこうむったのである。
。。。
主流派のイザヤ書
すなわち、主流派と少数の異端では、引用する預言書が違うのである。
主流派の聖母マリヤとペテロは、イザヤ書である。また、神学の父パウロはヘブル人への手紙でイエスが永遠の大祭司であることを証している。大祭司が再臨するだろうか。
ピリポ派にとっては、ダニエル書が信仰の源であり、再臨のイエスはその果実である。未来のことを言って人々の不安をあおっているのである。
。。。
主流派に食い込もうとする異端
彼らが少数派であったのは、彼らが作ったこの手紙に現れている。
(ヨハネの黙示録)
3-20見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
これは、ラオデキヤの教会に宛てた部分であるが、エペソの教会の人々も読む。エペソには主流派のプリスキラ(姉)やガイオがいる。この言葉の「わたし」はイエスではなく「ピリポ派」である。
。。。
文盲のペテロ場合
(ペテロの第一の手紙)(ピリポ派シルワノことシラスの代筆)
1-7こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。
5-12わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。
自分のことを、ペテロが信頼している者、と書くことこそペテロをなめた言葉であり、シラスの歪んだ根性を示している。
。。。
パウロの葛藤
。。
ただ言えるのは、そのパウロさえも、聖母マリヤ信仰には到達しない。それを成したのは、テオピロとルカである。
。。。
「オリジナル教会」の立場
しかし、だからと言って、新約聖書を再構成することは有りえない。定まっているものを変更する権限はだれにもない。取扱説明書の域を超えず、指摘にとどめなければならない。
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たちいらないと思うのだが、その神父たちがどのように聖書をとらえているのかを知る
興味深いサイトがある。
笹倉キリスト教会 笹倉正義というサイトだ。
引用するまえに注意するのはこの笹倉というかたは
新約聖書は取り扱い説明書の意味しかなく、
なかに異端の考えが多数含まれていると
敵意むき出しの愛に欠けた態度で執筆していることだ:
以下一部分を引用する。宗派による仲違いというものはこれほどに
敵意をむき出しにしていることがよくわかる。同じクリスチャンである隣人をこれほどまでに憎むとは。
「錯誤」それが、「ヨハネによる福音書」の源である。
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ピリポ派、ヨハネの名を冠した少数
ピリポ派は、イエスの神聖の証人である聖母マリヤとペテロ、また栄光のイエスの僕となったパウロたちとは異質の存在である。
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新約聖書の各所に施された、「世の終わり」と「再臨」という言葉は、ピリポ派のしわざである。
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主流派の福音書のイエスは、望みがあるときは、何度でも、何度でも訴えなさい。そうすれば、門は開かれるであろうと教えられたのである。しかるに、ピリポ派はそれを否定し、神への求めを安直なものに変えてしまった。
この二つの異端によって、キリスト教がローマにおいて拡大していく時、デマの源となりあるいは親衛隊による信徒の取り締まりに利用されて、大いに迷惑をこうむったのである。
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主流派のイザヤ書
すなわち、主流派と少数の異端では、引用する預言書が違うのである。
主流派の聖母マリヤとペテロは、イザヤ書である。また、神学の父パウロはヘブル人への手紙でイエスが永遠の大祭司であることを証している。大祭司が再臨するだろうか。
ピリポ派にとっては、ダニエル書が信仰の源であり、再臨のイエスはその果実である。未来のことを言って人々の不安をあおっているのである。
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主流派に食い込もうとする異端
彼らが少数派であったのは、彼らが作ったこの手紙に現れている。
(ヨハネの黙示録)
3-20見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
これは、ラオデキヤの教会に宛てた部分であるが、エペソの教会の人々も読む。エペソには主流派のプリスキラ(姉)やガイオがいる。この言葉の「わたし」はイエスではなく「ピリポ派」である。
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文盲のペテロ場合
(ペテロの第一の手紙)(ピリポ派シルワノことシラスの代筆)
1-7こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。
5-12わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。
自分のことを、ペテロが信頼している者、と書くことこそペテロをなめた言葉であり、シラスの歪んだ根性を示している。
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パウロの葛藤
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ただ言えるのは、そのパウロさえも、聖母マリヤ信仰には到達しない。それを成したのは、テオピロとルカである。
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「オリジナル教会」の立場
しかし、だからと言って、新約聖書を再構成することは有りえない。定まっているものを変更する権限はだれにもない。取扱説明書の域を超えず、指摘にとどめなければならない。
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