御霊と水を血その2 | 優しさがいちばん

御霊と水を血その2

さきのヨハネI 5章の
御霊と水を血が一致する。
とありイエスは水と血を通ってこられた
ということの意味合いがすぐにはわからなかった。

一般には水は洗礼で血は十字架だという解釈だ。

そんなに無理はないが必ずしもストレートには納得しがたい。

というのは洗礼には水の洗礼と聖霊の洗礼と火の洗礼の
三種以上があり、イエスはすべてを通っているはずだからだ。
聖霊の洗礼はassembly派やカリスマ派では強調されていて
異言がその証拠とされている。
火の洗礼は馴染みが少ないが純福音派とよばれる会派では
かなり上級の洗礼とされている。

御霊と水と血が一致するという表現は文学的な表現に思われ
論理的には一致するはずがない。
このように聖書には文学的な表現がでてくるので
字義通りの解釈というものは危険がともなうということが
わかる。