なぜ信仰が強くなれないか | 優しさがいちばん

なぜ信仰が強くなれないか

多くのクリスチャンは祈りが叶えられるとは思っていない。
叶えられるときもあれば叶えられない時もあり
叶えられないのは神さまからの試練かあるいは信仰が弱いからだと考える。

というのは私たちは基本的に実証主義をとらざるを得ないからだ。
実証主義によって信仰は強くなる。
つまり自分の生活にひきこんで祈った願いがかなえられればほら聖書に書いてあるどおり、
あるいはイエスのいったとおりになっている。
そのフイードバックの繰り返しによって、いいかえれば証によって
信仰は強まると考える。

あるいはおうおうにしてあるが、偶発的なことであっても、強引に、願いによって
それがおきたと信じ込むことによって、信仰を強めることもある。
いや、そういうことが少なくない。

実際、イエスは奇跡を起こすのは信仰を強めるためである発言もしている。
これに対して
もっとも有名な聖書の言葉はヘブリュー(ハブライ人へ)11:1-3

新共同訳1987

11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。

11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。

 
これはパウロの言葉なのか別の使徒のことばかはあきらかではないが
イエスの奇跡の意図やわれわれの実証主義とは異なる立場である。
実際、イエスはまだ実現していないことを信じろとはいっていないと思う
(要確認)
イエスはクリスチャンが神の子の条件を満たすなら、信仰が強ければ
山をも動かせるといっている(しかし山を動かしたクリスチャンはひとりもいないが)

なぜほとんどのクリスチャンの信仰が強くなれないか。
それは祈りがかなえられたりかなえられなかったりするからであある。