第二コリントびと | 優しさがいちばん

第二コリントびと

パウロはコリントには三度いったとある。
コリントのひとたちは水の洗礼をうけながら
不品行などをくりかえし、パウロも悩む。
パウロはコリントのひとたちには神のチカラをあらわしたが
原則として洗礼はさずけなかった。役割分担という考えからだろう。
ならばパウロのパートナーのバルナバは聖霊の洗礼を授けたのではないだろうか。

いもかかわらずコリントのひとたちは第二コリントをよむかぎりパウロを悩まさせつづけたようだ。

パウロ自身は主がサタンのとげをとりのぞいてもらっていないし、
多くの艱難を経験させられ、
この世では貧乏なまずしい生活を送った。

なぜ主は働き手のパウロにそのような生活をさせたのだろうか。
21世紀までのクリスチャンにもそのようなことを望まれているのだろうか?