パウロ 使徒と共闘をはじめる
パウロは生身のイエス本人をしらず
イエスの教えは聖霊から学んだはずである。
(按手によってアナニヤから聖霊の洗礼をうけている)
このことは同じく生身のイエスをしることができない
その後のクリスチャンについても当てはまりうる。
さて、パウロとイエスの弟子たちとの共闘はどのようにして
開始されたか、興味深い。
間にバルナバという弟子側のヒトがいたからである:
イエスの教えは聖霊から学んだはずである。
(按手によってアナニヤから聖霊の洗礼をうけている)
このことは同じく生身のイエスをしることができない
その後のクリスチャンについても当てはまりうる。
さて、パウロとイエスの弟子たちとの共闘はどのようにして
開始されたか、興味深い。
間にバルナバという弟子側のヒトがいたからである:
生身のイエスをしらないパウロはどのようにして使徒たちとともに共闘するようになったのだろう。どうも使徒たちのほうから探し出したようだ(使徒業伝11章)
使徒からアンテオケにつかわされたバルナバがパウロを探しにいったと11章25節にある。そして二人で教会を始めたとある(26節)
パウロはエレサレムにいき弟子たちの仲間に加わろうとしたが、弟子たちはパウロのいうことを信じなかった。
このときに弟子たちはすでに聖霊の洗礼をうけていたはずなのにパウロのいうことを信じなかった。
弟子たちの仲間であるバルナバの仲介で、なんと、パウロの説明で弟子たちは納得したのだった。聖霊の助けにて納得したのではなかった(9章27節)。
これは別の箇所でパウロがいっていることと矛盾しているようにみえる:
1A 神の力として 1-5 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。