聖書を読み解く事のむつかしさ | 優しさがいちばん

聖書を読み解く事のむつかしさ

聖書にはつねに聖書を読んでサタンの攻撃への反撃の道具にしなさいと
あるが至難のわざだ。
というのはクリスチャンというものは神に従順でありなさいといわれていて
教えられた通りの行動パターンをとるように要求されているからだ。
まあ、それはイスラム教や他の新興宗教でも同じなのだが、
とりわけ、真理の道にあるクリスチャンは従順で温和なものだから
ほんとうは、おいしい食べ物でなくてもおいしいというと、
賛美の歌でもへたでも、うまいといわないといけないし、
迷走する牧師にもしたがわなくてはいけないし、
というわけで、もともとクリスチャンは論争にはむかないのだ。

神学者もにたようなもので、むしろ、非クリスチャンの神学者、
ハイヤークリテイクスなどキリスト教をなし崩しに否定するひとたちのほうが
論争はうまい。

故東康男さんのような理屈詰めで聖書を論じるひとは
まずいない。
だからほぼ全員が聖書を論理的な整合性を維持しつつ理解でき、講釈できない。
それでは宣教はできないか。
できるはずなのである。
イエスの弟子たちが行ったようにだ。
それを学ぶのならそれほどむつかしくないのでは。

いや、どうしてどうして。。。