難問 ”すべての権威は神によって与えられている”か | 優しさがいちばん

難問 ”すべての権威は神によって与えられている”か


優しさが一番からの転載:

”すべての権威は神によって与えられている”
311以降、たいていの権威は”悪”であることをしらされたから
新約聖書のこの表現は大問題であることになる。
あきからにこのステートメントは間違いである。

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです」(ローマ13:1)


しかし聖書を
自ら考えず、おしえられたとおりに信ずる大多数のクリスチャンも牧師も
このステートメントを正当化しようとして間違いに陥る。

ではなにが正答か?

聖書に間違いがあるのか。
ひとつ間違いがあれば、他にも間違いがあることになり
聖書の正統性を再検討しなくてはいけない。

それとも聖書の読み方に問題があるのか?

しばらくのあいだ、わたしにとっては大問題であった。
それでかのパウロのロマ書以外に同様のステートメントが
ないか調べた。

ヨハネ19章:
ポンテオ・ピラトはイエスに声をかけました。「私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを知らないのですか」(ヨハネ19:10)。

イエスは答えられました。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません」(ヨハネ19:11。ピラトはあたかも自らが生殺与奪の権威を持っているように振る舞っています。しかし、イエスは権威とは人間のものではなく、上から与えられるものであることを明確にしておられます。

イエスがヨハネ伝のなかではっきりといわれている。
パウロがいうところのすべての権威が神から与えられているのではない。ローマの権威は神から与えられていない。

それではパウロが間違っているのだろうか?
必ずしもそう考えなくてよいこともありうる。
それは
聖書の真意は全体からきめるべきで、特定の状況のもとで
状況にあわせて判断すべきなのだろう。

これだから聖書を読み解くのは難しい。
クリスチャンの大半は宗派のおしえに忠実に従うかそのように教育されている。
牧師はその典型だ。羊は自分のまえの羊しかみえない。
だからパウロがその状況にあわせたステートメントであっても
言葉通り、字義通りに解釈して一般化しがちになってしまい
聖書の真の意図を見誤ってしまう。