マルコ伝では | 優しさがいちばん

マルコ伝では

ねつ造された聖書(アーマン)という著作のなかに
おもしろい記述がある。

マタイとルカはマルコの福音書を下敷きにかいたという前提で
マタイをルカは
イエスが病人の病をいやすときに
怒っていたと思われる言葉を意図的に
削除したというものである。

マルコ一章、40節から
1:40ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。 1:41イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。 1:42すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなった。 1:43イエスは彼をきびしく戒めて、すぐにそこを去らせ、こう言い聞かせられた1:44「何も人に話さないように、注意しなさい。

43節がそこである。
この記述をみた
ルカとマタイはなぜイエスが(不条理に)怒られたのか理解できなかったので、削除したのだとアーマンは考えた。

もともと聖書は書き加えても削ってもあいならんと書いてある。
ルカとマタイはその命令に背いたのではないかというわけだ。

同様にイエスが(理由不明で)不機嫌になって怒られたと
マルコにあるところは他にもあるという。

私の理解では(純福音派の)解釈でもあるのだが
四つの福音書はそれぞれ別の立場から書かれている。
お互いに相補的になっているのだ。

この意味では表現がことなるのは立場の違いによる
解釈の違いだといえる。
改竄したのではなく、立場の違いによる解釈の違いだ。
アーマンはそのことに気づいていない。

イエスは私たちには了解不能でとつぜん不機嫌になることがある。
たしか、荒野のイチジクについても怒り呪いの言葉を発していた。

それらが何を意味するのか?