マルキオン派
キリスト教も異端が多いなー。
人は争うもんだ。
このマルキオン派はキリストは人間であったと考えるもののようだ。ローマのバチカンがいつから悪の宗教になったかはいまのところわからないがマルキオンは”144年の教会会議で破門された”。彼の考え方はなんと焚書で焼かれてしまったため、異端を主張した論争の相手の書からしか推論できないという。それによれば
”
反駁者たちの文章から推測されるマルキオンの思想は次のようなものである。まず、イエスはユダヤ教の待ち望んだメシアではなく、まことの神によって派遣されたものである。ユダヤ教の期待するメシア像は政治的リーダーで異邦人を打ち破るという要素が組み込まれていたことがマルキオンには誤りと思えたのだ。また、神が人間のように苦しむはずがないとして、イエスの人間性を否定した。このようにイエスの人間性を単にそのように見えただけだとする考え方を仮現説(ドケティスム)という。
同時に彼は旧約の神(世界を創造した神・律法神)は、怒りの神、嫉妬する神、不完全な神であり、旧約の神がつくった世界は苦しみにみちた世界であると考えた。一方、イエスの示した神は、旧約の神とは異なるまことの神、いつくしみの神であると唱えている。
このことから、マルキオンはキリスト教徒にとって旧約聖書は必要ないと考え、自分たちのグループのために本当に必要な文書のみを選択しようとした。これがキリスト教の歴史における最初の正典編纂作業である。マルキオンは福音書の中でルカによる福音書のみを選択し、新約聖書の諸文書の中から特にパウロの手紙を重視している。マルキオン正典は以下のような文書を含んでいた。ちなみにどちらもオリジナルをそのまま採用したのではなく、マルキオンが手を加えて改変したものであった。
”
現在の神学校のドグマに毒されていないフレッシュな精神の持ち主からはごく自然な考え方である。
旧約聖書の価値観は複雑ではあるがあきらからにユダヤ民族に肩入れをして、いくら強弁しても、他の民族にとっては恐ろしい神であることが疑いがない。ユダヤ人にとってもイエスは人の手におち自分らを救済しなかったのであるから、イエスが人間にように苦しむはずがないと考えることは、”異端として焚書”するほどの敵対行為ではない。
旧約の神が怒りの不完全な神で
イエスの示した神が慈しみの神であると考えるマルキオンの考えは
”イエスの示した、あらゆるもののなかで愛こそがもっとも重要であるという考えに重点をおくことは”ごく自然である。
このようにマルキオンを異端として排斥することには否定する側に不自然さがある。