三島の凡庸さ | 優しさがいちばん

三島の凡庸さ


板坂剛をよんで三島の凡庸さが完璧に露呈されてしまった。
これほどその能力と思考の崇高さに乖離がある人間をさがすのは困難だろう。
三島はその行動原理に自らの直感に基礎をおいた。
三島はもともと家柄に劣等感をもち、これを隠していた。
父方が非人の系統をひいていること。逆におばが天皇家の側室にからんでいて
みずからを高貴の出とかかわっていると信じたい願望があったようだ。
そもそも
葉隠れを読むべき書としてなぜ選んだか?
葉隠れは理想の武士の心かまえが主題だが、そもそも
武士を祭り上げるとはなぜだろー。
武士は警察とおなじで権力の犬だ。
犬は主人の命令がすべてで服従する事に喜びがある。
軍隊も同様だ。
軍隊は上官の命令がすべてだ。その頂点が天皇陛下だ。
三島はその天皇陛下も部下である武士や侍をまつりあげ、そのシステムを上位価値にもっていった。
これはきわめて恣意的なもので
これを最高価値とすべき理由を三島は述べていない。
このような弱い基礎の価値体系はけっして普遍性はありえない。

このような脆弱な思想のおとこがかいた小説はうわっつらはきらびやかであるが
内容はない。
三島がめぐまれていたのは
病的な劣等感による感受性と
ことばをうわっつらであやつる能力だけであった。
その能力のおかげで
能力が枯渇した川端康成の代筆をして
それをかくしておけず、リークして、
そして川端のノーベル文学賞をもたったことをうらんでいた。
このような理由で三島はみずからがノーベル賞をうけるべきであると
考えていたが、
そこにこそ三島の精神の凡庸性がはっきりとあらわれている。

これにたいして、アドルフヒットラーは実をとってドイツを虜にし
維持的にでも世界の大半を手中にした。

三島のライバルであると任じていた石原新太郎は政界にはいり、都知事になって
実世界と対峙してきた。
石原と比べたら三島はあおちっろい、助けようのない、
馬鹿な物書きであったろう。