愛は相互作用 | 優しさがいちばん

愛は相互作用


新訳聖書のセントラルメッセージは愛だ。
愛はすべてに優先する。
神は、天の(母でなく)父はまたキリストは”あなたという”人類を愛している。あなたが、天のちちから
離れないという条件で、あなたを愛している。と聖書にはある。

ところで愛は一般には相互的だ。一方が愛し、他方も、その愛し返すことで、相互作用ができ
愛が高まって行く。

神様のばあい、人類を愛する神様の側は、たった3人。
天の父と、その長子のイエスキリスト、そして聖霊だ。
この三者は本質的にはおなじものだので(三位一体)単数ともいえる。
プロテスタントでは神様の側には女性はいない。
カトリックでは、イエスキリストの母のマリアが加わる。

それにしても、一般的にはこの神様は人類を構成している
個々の私達を愛しているとという。
Jesus loves you
とよくいう。
。。。。

聖書のどこにそう明言してあったかな?
あ、そうか、
最愛の長子をいけにえにしたことだその証明だ。
人間を愛しているのでということだ。

信徒の場合、相互作用を確立する事が一般にはむつかしい。
神様がわたしたちを愛しているのだということを、人とのあいだのように
実感できないからだ。
現実におきている現象を神様がその愛にもとづいて、介入しているのだと
解釈しながら、相互作用を確認していかなかればいかないからだ。
一般にはこの神様の人間への介入の数は少ない。
神とともいいきるというひとがいても
それは、さまざまな、ささいな出来事を神様からの介入だと拡大解釈をしているかのように思える例が多い

その理由を正当づけるとすれば、神が人間に生活のなかでたえず祈りをするようにいっているからであろう
相互作用の力を人間側から強めるように言われているのだ。

つまり
相互作用の神とあいだの愛は人間からの絶え間ない祈りの努力を持続することで成立するのだ。
だから祈りがすくないひとにとっては
信仰は容易ではない。

特に愛の強さは相互作用の強さに依存するから
一方的な、人間側からの祈りだけでは成立しないから
強い愛、つまり強い信仰がまれなのだ。