そのおとなの人は、むかし、いちどは子どもだったのだから、わたしは、その子どもに、この本をささげたいと思う。おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)そこで、わたしは、わたしの献辞を、こう書きあらためる。
 
子どもだったころの
レオン・ウェルトに
 
―サン=テグジュペリ『星の王子さま』
(内藤濯訳、岩波文庫、2021年)

 

"Le Petit Prince" [Saint-Exupery, Editions Gallimard, 1946]
___________________________
今回は、
SEVENTEENの
POWER OF LOVEプロジェクトにおける
スクングァンの役
について考えていきます。
___________________________

 
※この記事はこちらの記事の続きです。

 

※考察をはじめから読むにはこちらをご覧ください。

★・・・・・★・・・・・★
 
(9) SEUNGKWAN《レオン・ウェルト》
 
 『星の王子さま』は、本記事の冒頭に引用した献辞からわかるように、サン=テグジュペリの親友であるレオン・ウェルト(表記によってはヴェルト)に贈られています。
 私がスングァンがウェルトを表現していると思う理由は以下の通りです。
 
①小さな木馬
 インターネットでレオン・ウェルトを検索すると、足元に小さな木馬が映っているこの写真がよく出てきます。
(画像は以下のサイトより引用)

 

 次に、こちらの写真をご覧ください。

‘Attacca’のカムバック前に公開されたSEVENTEEN’s Dawn Is Hotter Than Dayからのスクリーンショットです。画面右下にご注意ください。

(動画は後ほど引用します。)
 
 スングァンの近くに木馬があります。
 
 考察Part1でお話したように、全4回に渡って公開されたSEVENTEEN’s Dawn Is Hotter Than Dayには、
 
ジョウロサボテン空っぽの鳥かご空の写真など、『星の王子さま』のイメージと重なるモチーフがインテリアとして置かれている。
 
●タイトルはSEVENTEENの2019年の曲‘Our Dawn Is Hotter Than Day’に重ねたものだが、この曲には「星と砂粒の間」という歌詞があり、『人間の土地』を思わせる(『星の王子さま』のもとになった体験などを綴った『人間の土地』には「星と砂との間で」という言葉が何度か登場し、英語版タイトルも“Wind, Sand, and Stars”である)。 コンテンツの初回でジョシュアはこの部分を歌おうとした。
 
●最終回の動画の長さがサン=テグジュペリの誕生日を暗示するかのような6分29秒だった(サン=テグジュペリは1900年6月29日生まれ)。
 
 という特徴があります。そのことを踏まえると、この木馬も、単にお洒落なインテリアとして置かれていたのではなく、レオン・ウェルトを暗示するためにあえて置かれたことが考えられます。

SEVENTEEN’s dawn is hotter than day



②IN-COMPLETEの‘Do Re Mi’
 今回のプロジェクトを読み解く鍵となっていると考えられるオンラインコンサートIN-COMPLETEにて、スングァンを含む98~99年生まれの三人が‘Do Re Mi’を披露しました。その際、まるで彼らの子ども時代の姿であるかのような小さな子どもたちがステージに登場しました。
(下に引用したIN-COMPLETEのTeaserよりスクリーンショット)
2021 SEVENTEEN ONLINE CONCERT 'IN-COMPLETE' DVD&Blu-rayTEASER#2

 

 初心に立ち返るというテーマでやさしい童謡のような雰囲気もある曲なので、子どもたちとの共演は自然な演出であるように見えます。ただ、例えば子どものダンサーさんをたくさん呼ぶなどの演出もできたと思うのですが、そうではなく、メンバーに似た雰囲気を持った子に出演してもらい、衣装もそれぞれお揃いにしています。
 下のビハインド動画では、少年たちのことを「ミニDo Re Mi s」と表現した字幕もあり、ディノは共演した少年を見つめながら「本当に僕の幼い頃みたい」と言っていました。
 

 
 この演出は、『星の王子さま』の献辞の内容を思い起こさせるためのものではないでしょうか。
 
 レオン・ウェルトに
 
 わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、子どもたちには、すまないと思う。でも、それには、ちゃんとした言いわけがある。そのおとなの人は、わたしにとって、第一の親友だからである。もう一つ、言いわけがある。そのおとなの人は、子どもの本でも、なんでも、わかる人だからである。いや、もう一つ言いわけがある。そのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしてもなぐさめなければならない人だからである。こんな言いわけをしても、まだ、たりないなら、そのおとなの人は、むかし、いちどは子どもだったのだから、わたしは、その子どもに、この本をささげたいと思う。おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)そこで、わたしは、わたしの献辞を、こう書きあらためる。
 
子どもだったころの
レオン・ウェルトに
 
―サン=テグジュペリ『星の王子さま』
(内藤濯訳、岩波文庫、2021年)
 
 ‘Do Re Mi’にはスングァン以外にもバーノンとディノが参加していますが、二人には既に考察Part5と6で書いた通りバラとプレヴォという大きな役がありますし、木馬が置かれていたのはVocal Teamの部屋です。また、上に引用したIN-COMPLETEのビハインド動画には、スングァンがこの曲のリーダーであることを示すような字幕もあります。これらのことを考慮すると、'Do Re Mi'の演出はスングァンの役を表すためのものであると考えることができそうです。
 
 ちなみにIN-COMPLETEのDVDとBlu-rayディスクの予約販売開始日は6月29日で、サン=テグジュペリの誕生日でした。「予約販売開始日」というとディスクの「発売日」やコンサートの「開催日」に比べて重要度の低い日付に思えますが、ティーザーの画面を見ると、06.29という日付がけっこう目立っているように感じられます。
 
(画像は、下の動画よりスクリーンショット)
 
2021 SEVENTEEN ONLINE CONCERT 'IN-COMPLETE' DVD&Blu-rayTEASER#1

 

 

③海の向こうにいる友人である。

 

 'Attacca' Op.2のコンセプトフォトや'Attacca'収録曲、IN-COMPLETEでの選曲などから、POWER OF LOVEプロジェクトにおいてPerformance Teamは空(宇宙)、Hiphop Teamは地上(灼熱の砂漠)、Vocal Teamは海(そのほか雨、雪など天と地をつなぐもの)のイメージを表現していると考えられます。

 

 今までの考察で

 

  ●ジョンハンとウジ

   海から発見されたサン=テグジュペリのブレスレット(海から帰還した王子)。

  ●ドギョム

   僚友ギヨメ。雪山に墜落したが生還した。地中海上で撃墜され亡くなった。

  ●ジョシュア

   サン=テグジュペリを海に撃ち落した側の飛行士のイメージも表現している。


 ということを説明しましたが、スングァンが演じていると思われるレオン・ウェルトにも海のイメージがあります。

 

 彼は海の向こうの友人なのです。

 

 サン=テグジュペリは、『星の王子さま』の献辞を書いた時、苦渋の選択であった亡命により、アメリカにいました。一方、レオン・ウェルトはフランスに留まっており、当時の状況の中でユダヤ人であることから厳しい生活を送っていました。『星の王子さま』の献辞のそのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしてもなぐさめなければならない人だからである」という言葉は、そのことを指しています。つまり、この献辞は、アメリカからフランスへ、海の向こうにいる友人を思い浮かべて書いた手紙のようなものなのです。

 現代の青年たちの爽やかな朝の風景を描いたように見える'Attacca'Op.1のコンセプトフォトでスングァンの周りに食べ物がたくさんあるのも、もしかしたら、彼に「ひもじい思い」をしてほしくないという、当時は叶わなかった願いを表現しているのかなという気がします。

 

 また、サン=テグジュペリの『ある人質への手紙』という作品は、もともと、ウェルトが出版する予定だった作品の序文として書き始めたものです(ウェルトが執筆した『33日間』の序文になるはずでしたが、出版が中止になってしまったため、かなり加筆修正して、単独のエッセイとしました)。つまり、こちらもある意味ではウェルトに捧げられた文章と言えます。

 そして、この作品もまた、海と結びついています。この作品にはサン=テグジュペリの故郷と亡命についての思いが綴られており、水先案内人(海運業ではこれもPilotと呼ばれる)にまつわる随筆であるため、海や港、船への言及が多くあるのです。

 

 このように、レオン・ウェルトは海のイメージと結びついているため、プロジェクトにおけるチームのイメージという観点からも、スングァンに合っていると言えます。

 

 

④「ぼく(ミンギュ)」の親友である。
 どのメンバーとも仲が良いのは前提として、スングァンはDo Re Miメンバーのバーノンやディノのほか、ミンギュともとても仲が良いことで知られています。ミンギュはスングァンのひとつ年上ですが、生まれ月の関係で、同じ学年で同じ高校に三年間通っていました。
 
3:05のあたりで、一緒に登校中に屋台の食べ物を買っている二人の姿が見られます。
 
 レオン・ウェルトはサン=テグジュペリの親友で実在の人物ですが、先に引用した『星の王子さま』の献辞に作者の親友として登場し、この本は作中に登場する「ぼく」によって書かれたという設定で進みますので、本の外の作者の情報よりも本に書かれている言葉を信じて物語を読む多くの子どもたちにとっては、「ぼく」の親友として記憶に残ります(引用した翻訳では献辞の一人称は「わたし」となっていますが、原文では「わたし」も「ぼく」もjeです)。
 
 私の考察があっているとすれば「ぼく」=ミンギュですので、その親友であるウェルトをスングァンが演じるのはとても納得のいく配役だと感じます。
 

 上に引用した動画は二人が高校生の時のものですが、それから9年経った今も、GOING SEVENTEEN 2021のTTTでスングァンの代わりにミンギュがお酒を飲んであげたりだとか、ふとした瞬間に変わらず仲が良いことが伺えますよね。

 

 

⑤美術評論家のイメージ

 ここからは考察というより、「スングァンのイメージに合っている配役だね」「そういうイメージがあるからこの役に選ばれたのかもしれないね」という話なのですが、ウェルトは作家であり、美術評論家でもありました。

 

 スングァンは彼自身がアイドルでありながら大のK-POPファンでもあることで知られその知識量はもはや研究者・専門家の域です。

 歌やダンスも芸術ですので、K-popを愛し解説できるスングァンのイメージは、美術評論家であるウェルトの役に合っていると思います。

 

 スングァンが思い出のK-popを紹介した2020年9月のV LIVEは大きな反響を呼びSEVENTEENのファン以外にも視聴され、その素晴らしい知識を讃えて「ブ・スングァン教授」というあだ名が生まれたほどでした。

 楽しそうに曲を口ずさみ踊ってみせる姿からは、一人のファンとして歌やステージを本当に心から愛しているのが伝わってきます。

 

 そのVliveはこちら。三時間もあるVliveですが、言うまでもなく歌声もとても素敵ですので、何か作業をしている時のBGMにしても、楽しそうな話し声や歌声が聞こえてきて明るい気分になれます。

 

 

⑥優秀な学生のイメージ

 スングァンは2015年のSEVENTEENプロジェクトで、ジョシュア、ディエイト、バーノンとともに「練習生になる前の姿」をステージで表現したことがあります。その際、過去の自分のことを「済州島で勉強しながら歌ってたスングァン」と説明しています。

 

 SEVENTEENのメンバーにはそれぞれ、単に知識の多さや学力の高さという意味ではない、頭の回転の速さ、洞察力、気遣い、創造力、パフォーマーとしての知性、生活する上での知恵、ウィット、考えの深さ、語彙力、語学力、ファンの気持ちを想像する力など様々な「頭の良さ」が備わっていると感じますが、スングァンは子どもの頃から塾に通っていたとも聞きますし、先述のように練習生になる前の自分を「勉強しながら」と説明していますので、少年時代に学業にもしっかりと取り組んでいたイメージがあります。

 

 ウェルトは若い頃、文学や人文科学、哲学などを学ぶ非常に優秀な学生でした。このイメージは、上記のようなスングァンのイメージに合っていると思います。

 

 頭の回転もとても速く、バラエティの司会業などで活躍する姿もかっこいいですよね。単独でのテレビ出演も多く、今年も以下の賞を受賞しています。過去にもMCに関する賞を受賞しています。

 

 
⑦ライオンのイメージ
 レオン・ウェルトのレオンという名前は、ギリシア語で「雷」、ギリシア語・ラテン語で「ライオン」を意味する言葉に由来する名前です。英語でも獅子座をleoと言いますよね。
 
 ところで、私は最近知ったのですが、SEVENTEENも使っている韓国最大のメッセンジャーアプリ「カカオトーク」を提供しているカカオ本社はスングァンの出身地である済州島にあるそうです。
 済州島の名産品がみかんの一種であることから、2019年にカカオ本社にオープンした「カカオフレンズショップ」には、「みかんライアン」のグッズなどが売っているそう。
 
 「カカオフレンズ」はカカオトークの公式キャラクターたちのことで、「ライアン」はその一人です。熊にも見えますが、「たてがみの無いライオン」だそうです。元気のないカカオフレンズを励ますために途中から登場した比較的新しいキャラクターですが、一番人気があるとも言われる代表的キャラクターです。
 
 スングァンは故郷の済州島のみかんをお土産として持ってきてくれることで知られ、SNSで彼を表す絵文字は「🍊(みかん)」です。
 ライアンを生んだカカオの本社が済州島にあることや、「みかんライアン」が韓国でどれほど知られているのか私にはわかりませんが、もしSEVENTEENや彼らのスタッフがこのことを知っているとすれば、スングァンに「ライアン」のイメージがあり、ライオンという動物を通してスングァンとレオン・ウェルトが結び付けられたということも考えられると思います。
 
★・・・・・★・・・・・★
 
 以上、私が、スングァンがPOWER OF LOVEにおいてレオン・ウェルトを演じていると考える理由でした。
 
 最後に、この考察に関連してもう一つSEVENTEENの曲を紹介したいと思います。2020年のアルバム'Heng:garae'の収録曲であり、'IN-COMPLETEでも歌われた'Kidult'です。

 

 

 やさしい伴奏にメンバーたちの伸びやかな声、少し切なさのある歌詞とメロディーが胸を打つこの曲。タイトルの'Kidult'は英語の'kid(子ども)'と'adult(大人)'を組み合わせた造語です。

 

 「心の中に子どもがいる」こと「大人みたいに笑ってみせた後に子どものように泣いた」ことなど、子どもの心を胸の奥に隠しながら大人として生きることを歌った曲です。

 

 私の読解力が足りないだけかもしれないのですが、歌詞に出て来る「君」が目の前にいる大切な人なのか、心の中にいる自分の分身なのかはっきりせず、私には、子どものような心を必死に隠しながら大人として生きる似た者同士の友情や恋の歌にも、自分の中で泣いているもう一人の自分に語りかけている歌にも聞こえます。

 

 そして、それは、『星の王子さま』の、「ぼく」と王子さまの関係であり、レオン・ウェルトと、サン=テグジュペリが献辞を贈った「子どもだったころのレオン・ウェルト」の関係にも似ているように思います。

 「ぼく」が砂漠の真ん中に落ちて出会った王子さまは、初めて出会った他者のようにも、「ぼく」が忘れかけていた自分自身の心のようにも見えるからです。

 


 SEVENTEENは十六~二十歳ほどの年齢でデビューしたので、誰の前でも子どもでいられた期間は短かった方だと思います。もちろん小学校や中学校、高校をで出てすぐに働く人はアイドル以外にもたくさんいますが、もっと後で社会に出る人もたくさんいます。

 

 自主制作の大型新人として期待され、デビュー前から注目され、一時間のテレビ番組でデビューを飾ったことは芸能人として幸運なことだったかもしれませんが、いくら歌やダンスの練習は何年間も積んでいてもまだ十代や二十代前半の人間で、プロや社会人としては初心者なのに、いきなり世界中の人々から見つめられるというのはとても大変なことでもあったと思います。

 

 人は「芸能人」に対して容赦のないところがあるので、理想を押し付けられたり、勝手に失望されたり、比べられたり、発言やできごとのほんの一部を切り取って判断されたりと、嫌なこともたくさんあったと思いますし、実際に彼らが間違ったり失敗したりした場合はそれをきちんと受け止めて最善を尽くして歩んでいくべきだと思いますが、それが常に何百万人もの人に見られているというのはちょっと特殊で必要以上に負担のある環境です。

 自分がなりたかったものだとは言っても、「もっと遊びたいな」「家でのんびりしたいな」「家族と会いたいな」と思ったこともあるでしょう。疲れているのに笑わなくちゃいけなかったり、傷ついているのに平気なふりをしなくちゃいけなかったり。いつ失うかわからない、でも永遠に続くようにも見えるスケジュールの中で頑張らなくちゃいけない。

 SNSのある時代ですから、ファンや世間の声が届きすぎてしまうのも大変なことだと思います。

 

 このようなことは'Space'(2016 'Love&Letter')などを聞きながら私が想像したことに過ぎませんが、きっと、これまで歩んできた日々の中で、大人みたいに笑ってみせた後に子どもみたいに泣いたことは本当にあっただろうなと思います。

 スングァンのように頭の回転が速く、「空気が読めて」しまう人なら、自分の感情を犠牲にする機会はなおさら多いのではないでしょうか。

 

 そんなふうに想像しながら'Kidult'や'Do Re Mi'を聞くと、これらの歌は聞く人への応援歌でありながら、彼ら自身を励ます歌でもあるように感じられます。

 

 私はこの歌の終盤のOh, whoa-whoa-whoa-whoaと全員で歌う歌詞の無いところが好きなのですが、歌詞が無いからこそいろいろな思いが込められているように感じられ、一人一人の声が互いを支え合っているようにも聞こえます。 

 

 子どもだったころの、真っすぐな自分へ。すっかり大人になったように見える自分の中に、今も生きている幼くて弱い自分へ。

 

 アイドルでなくてもそんな自分に従ってばかりはいられないのが現実ですが、自分だけは自分の中にいる「王子さま」を忘れないでいよう、何もかも難しく見える時には彼の声を思い出してみよう。‘Kidult’や‘Do Re Mi’にはそんな思いが込められているように感じられます。

 

SEVENTEEN 'Do Re Mi'

 

★・・・・・★・・・・・★

 

 なんだか最後はただの私の想像と感想になってしまいまいましたが、これでスングァンまでの配役の考察が終わりましたので、次回はジュンについて書きたいと思います。

 ずっと前からジュンの記事のタイトルは決めてあって、「羊雲は再会の約束」です。

 

 今回も読んでいただき、ありがとうございました!