パルスオキシメーターが誕生する以前は、イヤーオキシメーターという耳で測定する装置があったが、耳を圧迫したり、測定中に耳を温めたりする必要があったので、ほとんど普及しなかった。
新潟大学電子工学科を卒業し、島津製作所を経て、日本光電工業に移った青柳さんが、1974年3月にパルスオキシメーターの原理に関する特許『光学式血液測定装置』を出願した。
その1ヶ月後にミノルタカメラ(現コニカミノルタ)より、パルスオキシメーターの特許が出願された。
1975年にパルスオキシメーターの原理を使ったイヤーオキシメーターが日本光電工業より商品化された。
1977年にはミノルタカメラより、今と同じ指に挟むタイプのパルスオキシメーターが商品化された。ところが、これらはあまり普及しなかったようだ。
ミノルタカメラがこの装置をアメリカに持ち込み、麻酔中のモニターとしてアメリカで広く普及したのち、日本へ逆輸入され、日本でも広く普及した。