戦争体験談、聞いたことある?
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祖母は満州国に行っていたことがあり、そこで父が生まれたそうです。
祖母は負けず嫌いで、私が子供の頃いじめられて帰ってくると
「やり返してこい!」
と、言われました。
だから、どんなにいじめられても学校を休んだことはありませんでした。
「子供の心のケア」などという言葉はその頃はなかったです。
厳しかったけど、テストで良い点をとったりすると、お菓子や本を買ってくれました。
昔の人は「アメとムチ」の使い方が上手だったのではないかと思います。
今みたいに子供を虐待して殺してしまう事件はほとんどなかったようです。
私は祖母が泣いている姿を見た事が1度もありませんでした。
とにかく気が強かったです。
入院したとき、看護師さんの言うことを聞かず、点滴を外したり、要もないのに看護師さんを呼ぶブザーを押したり、安静にしていなければならないのにベッドから降りたりしたため、拘束されていました。
その後、退院してから認知症になり、家の庭に植えてある植物をボキボキ折ったり、室内のゴミ箱で便をしたり、夜中起き出して冷蔵庫にある物を食い散らかしたりしましたが、注意すると逆に怒りだしたので、私は1度だけ祖母を殴ったことがありました。
「早く死ね!」と言ったことが何度もありました。
「死んでも泣いてやるもんか」
と思っていました。
祖母は最期は胃がんで亡くなりました。
憎たらしかった祖母ですが、葬儀で棺に花を入れるとき、私は泣いていました。
テレビで終戦記念日の特別番組を観ていて涙が止まりませんでした。
祖母は知らない国へ行き、命がけで父を生み、日本へ戻ってきたのです。
認知症にだってなりたくてなったわけではないのです。
私はなんて酷いことを言っていたのだろう。
ごめんなさい、ごめんなさい…
私もいつか死ぬ。
その時、祖母に会えたら謝ろう。
父を生んでくれたから、私はここをいる。
ありがとう!ありがとう!
大好きな、おばあちゃん
