赤巻上、青巻上、黄巻上、巻上公一氏とのツイでの会話かあ、これ?w | JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON

赤巻上、青巻上、黄巻上、巻上公一氏とのツイでの会話かあ、これ?w

一昨日は、ひさしぶにに、

群馬県に出張に行ってきたよ。

今まででの感じで行けば、

泊まらずに、朝早く出るくらいの

距離ではあったがw




初日は昼からで、着いたら直流盤とBTの事前データ取りのみ。


で、高崎駅近のビジネスホテル、前も1度泊まったとこだねw


高崎駅近で便利~~w


あたりめえかw



近くにこんなカッケー外装のBARを発見!


JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-skul n



はいらんけどねw


ビジネスホテルの部屋番は、「808」


マッドチェスター期のハウス・グループ「808STATE」を


思い出す瞬間w


JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-808



しかし、この現場、何度か行ったことあるが、


いつも、具合悪くなる、、。



JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-ore



翌日、午前中で仕事ほぼ終えて、夕方18時の復電まで、


自由時間。


が、相棒が車で、「DAISO」とかに延々と買い物してる間、


自分は、疲れて、ほぼ車中で、うとうと。



夕方、18時前に戻ると、復電のめどがたたなくなったと!



結局、雨も降り出し、10度以下の寒い車中で、


さらに6時間待つ、待つ、待つ、ひたすら待つ!


深夜零時に、再開!


電気試験のみだったから、1時間ほどでおわて、


あとは、ひたすら帰るの巻。


ほんと、そこで、えらい風邪悪化して、今も調子わりいよ。




さてと、、、、


またね、気付いてる人は気付いてたと思われるけど、


今度は、「HIKASHU(ヒカシュー)」っていう


JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-hikasyu now



テクノ・ポップ・バンドでボーカルやってる、


「巻上公一」氏と戯れてみたよw


$JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-makigami




まあ、こんな感じでさw


巻上さんがツイってたのねw


JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-maki tui



で、俺は、突っ込みいれたよw


JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-ore tukomi




そしたら、まさかとはおもたが、メンションにw



JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-maki rip






だから、俺は、秋葉の量販にいた時に、巻上さんに、


高級ヘッドホンを売ったことのある者です。


と、返しましたが、それ以上の発展は皆無でしたww







多少、マニアックかもしれないので、


ご存知ない方のために、「WIKI」が紹介してくれるよw







「巻上 公一(まきがみ こういち、1956年1月25日 - )


は日本の音楽家、プロデューサー。作詞、作曲家であり、歌手に留まらない


ヴォイスパフォーマーとして国際的に知られている。演奏は、口琴、


テルミンなどの特殊なものから、コルネット、ベース、エレクトロニクスなど


複数の楽器をこなす。熱海市出身。神奈川県立小田原高等学校卒。


ノンジャンルなバンド「ヒカシュー」のリーダーである。デビュー当時は


「テクノ御三家」の一つにも数えられたが、例外を作り出す音楽を真骨頂と


している希有なバンドとして長期的に活動している。自らをパタフィジック


ソングとインプロのグループと定義している。





中学校時代、美術部で井上誠と知りあう。当時は8ミリフィルムの


スクラッチング作品を作っていた。


高校時代、戸辺淳(哲の兄)と劇団ユリシーズを結成。海琳正道


(現・三田超人)を劇団の活動に引き抜く。


その他に、3年間新聞部の部長も務め、パトス派ながら、全国大会2位。


首都圏最優秀など軒並み受賞する。 その後輩に後に「フールズメイト」


を創刊する北村昌士がいた。


高校在学中に、劇団「東京キッドブラザーズ」のオーディションを受け、


ロックミュージカル「ザ・シティ」海外公演に出演する。ニューヨークでは


ラママ劇場、ロンドンではロイヤル・コート・シアターでの


長期公演を経験する。


ロンドンでキッドを退団。楠原映二とヒラリー・ウェストレイクに誘われ、


ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズがパトロンをしていた


フリンジ劇団「ルミエール&サン」に参加。ヘンリー・カウが音楽を担当


する劇団でもあり、ここで即興の多くを学ぶ。


帰国後、原宿学校(現在の東京映像学院)で映画を学びながら、


キッドを一緒に退団した深水三章、堀勉とともに


ミスタースリムカンパニーの旗揚げに参加。


プロデューサーを務める。


また同時に自身の劇団「ユリシーズ」を1976年に再結成。


1977年に虫の一生を描く前衛パフォーマンス「コレクティングネット」


の音楽を山下康・井上誠に依頼した。


1978年に第2弾「幼虫の危機」を上演。この時「プヨプヨ」「幼虫の危機」


などの作品が生まれた。


これらの歌をもとにその年の夏、「ヒカシュー」を結成。


JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-hikasyu old



吉祥寺の羅宇屋でデビューした。


1981年には、巻上がかつて通っていた原宿学校(現在の東京映像学院)


シナリオ科での講師であった、佐藤重臣に依頼し、トッド・ブラウニングの


映画『フリークス』の上映イベントを行う。


また、同1981年には村上春樹原作、大森一樹監督作品『風の歌を聴け』に


鼠役で出演した。映画では劇中劇の挿入歌もヒカシューとして提供している。


また、スペクトラムなど他アーティストの楽曲を作詞することもある。


他にこの頃、南伸坊提唱・糸井重里命名のパフォーマンス集団


「HAND-JOE」に、末井昭、上杉清文、鈴木祐弘、山崎邦彦らと参加。


また、写真家・滝本淳助も加えて「ハンジョウ・オール・スターズ


(H.A.S.)」として音楽活動も行った。


なお、ヒカシューは唯一無二の音楽バンドとして現在も活動を続けている。」





ほんとは、その後も長いけど、割愛。



そうだよ!


巻上さん、「東京KID」にいたんだよ!w


いずれ、「東京KID」についても、思い出話書くかなあ?w




そして、最近の巻上さんはと言うと、「篠原ともえ」ちゃんと、


いや、逆か、「篠原ともえ」ちゃんが、巻上さんのお世話に


なってるみたいですねw




JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-tomoe



違和感があるような、逆にマッチングしてるようなw





個人的にはさ、自分が公一、いや、高1の時に、いわゆる


「テクノ・ポップ」ブームが日本に勃興したころ、友人通しで、


皆、奴は「PLASTICS」、あいつは「P-MODEL」


あ、この3つで「テクノ・ポップ御三家」w


自分は「ムーンライダーズ」っていう風にLP買って、皆で、


貸し借りしたのを覚えてるなw



で、この「ヒカシュー」の「ヒカシュー」ってやつだけは、


どうしても、受け入れられなかったw



JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-hikasyu alb


「20世紀の終わりに」って、シングル曲なんか、歌い方が


気持ち悪くてさw 


唯一、「KRAFTWORK」のカバー「MODEL」だけ、


許せたっていうねw


全くもって、失礼な話しでさw


巻上さん、すみませんw











要は、声の変なビブラート感が、苦手なんだなw









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