恵美子おばちゃんが逝っちゃった
今回は、はじけません、、、
ご存知の方も多いかも知れませんが、
先日、母の親友が亡くなり、
告別式に行って参りました。
享年71歳でした、、。
恵美子というお名前でしたが、
恵美おばちゃんて、呼んでました。

右上がおばちゃんと自分。
左は母と弟。
詳しいことは分りませんが、うちの両親は
秋田生まれなんだけど、母の幼馴染で、
東京に出てきた数少ない友人のようです。
自分が、おばちゃんがガンで入院した連絡をもらったのも、
ほんの数日前でした。
軽く受け止めていた自分は、亡くなった知らせを受けて
かなり、ショックでした。
死ぬなんて、まったく考えてなかったからです。
人間というのは、悲しいものだなと思うのは、
こんな時でないと、そんなおばちゃんの家でさえ、
行ったことがなかった、、、、。
上野駅から、徒歩で数分の入谷のアパートに住んでた。
お子さん3人いることさえ知らなかったし、
唯一、ダウン症の娘さんがいることしか知らなかった。
その娘は、もう40は超えていて、一人になっちゃうんじゃないかと
心配だったが、福祉関係の方々のおかげで
今の働き場にも行きやすい施設に入れてもらえるそうだ。
何の因果か、おばちゃんとその娘に最期に会ったのは、
いまわしの吉祥寺店に寄ってくれた時だ。
娘さんは、その近くの病院に通ってたらしかった。
上野から秋葉なんて、めちゃ近いのに
一度も来たことないのに、、、。
俺が、あの店で、やばいってことを母伝えで
親せきが、何人か観に来たからな。
嬉しかったよ。
毎年、俺の作る、派手な年賀状を楽しみにしてくれてた。
あ、涙がでてきた、、、。
その日、連休でよかった。
穴をあけずに済んだ。
座ってんのが辛いんで、すぐに帰るつもりでいたが、
告別式と初七日の儀式が早く終わったので、
バスに乗って斎場へ行くことにした。
それにしても、棺の中の
おばちゃんの顔は綺麗で
花を添えながら、涙があふれてきた。
死に顔を皆に見てもらえるのって、
幸せな死に方
なのかもしれないと感じた。
とても、優しかったおばちゃん。
大人になって会ったことはあまりないので、
子供の頃のイメージが強いね。
しかし、斎場で御棺を焼き場に入れるのは、
あまり見たくない光景。
ましてや、御骨になって出てきたのを
この目で確認しなくてはならないなんて、
なんて残酷な風習なんだ?
御骨を見なくても、「死」というものは、
既に受け入れているというのに、、、。
こんな儀式なくなりゃいいのに。
うちの母の母、つまり、俺のおばあちゃんは、
自分の夫が亡くなり、御骨を見た途端、
全く、口がきけなくなった。
田舎に昔よくあったような雑貨屋を
切り盛りしてた、男勝りの超元気なおばあちゃんがだよ。
それ以降、おばあちゃんは、亡くなるまで、
ほぼ、しゃべれなくなった。
喉仏を見せて、
「これが、仏様の姿」だなんて、
そんな説明いらねえよ!
御骨見て、楽しいか?
俺はやだね。
自分の母さんの骨もみたかない。
告別式の会場に戻って、食事を頂いたのだが、
腰と尻がいつものように耐えられずに、
みなさんより早めにお暇することにしました。
喪主であるおばちゃんの長男さんへ挨拶し、
そして、娘さんにも挨拶し、
その場を去る。
涙雨にしては、物凄い雨だったよ。
家の間近で見たこの光景が、
花のように散ってしまったんだと
俺に思わせた、、、、。

家に着き、もう何度もこういう儀式に出てるから
また、お浄めの塩ってやつが入ってるだろうと思い、
今迄は、故人に対して、浄めるなんて失礼だろ?
と思って、したことなかったけど、
部屋に、見知らぬ者住んでるのは、
きっと、塩を使わなかったからだろうと
そんなことを考えて、使おうと開いてみたら、
「浄土真宗では、葬儀の時に穢れを清めるために塩は
撒くことはいたしません」とある。
こんなのは、珍しいなとも思ったし、
ああ、今までの自分の考えは間違ってなかったんだと
確証を得た様な気持ちになった。
「死」=「忌まわしい、穢らわしい」
という思想の名残なんだろうな。
「死」というものを
考えさせられる1日だった。
自分の年齢上、これから、増えていくんだろうけどね。
母は「桜の満開の頃、死ぬから、そこに埋めて」
と笑いながら言ったけど、俺、つかまっちゃうし。
でも、そういう遺言ならやるしかないか。
自分が死んだら、
明るいお祭りにしてほしいな。
何の前触れもなく、
この雨風呂やら、ツイとかに
登場しなくなったら、
それが、俺の死んだ時かもな。
泣いてくれる人はいないよな。
だって、死んだかどうか
連絡つかねえもんな。
写真も、選曲も決めとこうか。

うるさいPUNKとか、かけてくれっかな?
恵美おばちゃん、天国で安らかに。
ご存知の方も多いかも知れませんが、
先日、母の親友が亡くなり、
告別式に行って参りました。
享年71歳でした、、。
恵美子というお名前でしたが、
恵美おばちゃんて、呼んでました。

右上がおばちゃんと自分。
左は母と弟。
詳しいことは分りませんが、うちの両親は
秋田生まれなんだけど、母の幼馴染で、
東京に出てきた数少ない友人のようです。
自分が、おばちゃんがガンで入院した連絡をもらったのも、
ほんの数日前でした。
軽く受け止めていた自分は、亡くなった知らせを受けて
かなり、ショックでした。
死ぬなんて、まったく考えてなかったからです。
人間というのは、悲しいものだなと思うのは、
こんな時でないと、そんなおばちゃんの家でさえ、
行ったことがなかった、、、、。
上野駅から、徒歩で数分の入谷のアパートに住んでた。
お子さん3人いることさえ知らなかったし、
唯一、ダウン症の娘さんがいることしか知らなかった。
その娘は、もう40は超えていて、一人になっちゃうんじゃないかと
心配だったが、福祉関係の方々のおかげで
今の働き場にも行きやすい施設に入れてもらえるそうだ。
何の因果か、おばちゃんとその娘に最期に会ったのは、
いまわしの吉祥寺店に寄ってくれた時だ。
娘さんは、その近くの病院に通ってたらしかった。
上野から秋葉なんて、めちゃ近いのに
一度も来たことないのに、、、。
俺が、あの店で、やばいってことを母伝えで
親せきが、何人か観に来たからな。
嬉しかったよ。
毎年、俺の作る、派手な年賀状を楽しみにしてくれてた。
あ、涙がでてきた、、、。
その日、連休でよかった。
穴をあけずに済んだ。
座ってんのが辛いんで、すぐに帰るつもりでいたが、
告別式と初七日の儀式が早く終わったので、
バスに乗って斎場へ行くことにした。
それにしても、棺の中の
おばちゃんの顔は綺麗で
花を添えながら、涙があふれてきた。
死に顔を皆に見てもらえるのって、
幸せな死に方
なのかもしれないと感じた。
とても、優しかったおばちゃん。
大人になって会ったことはあまりないので、
子供の頃のイメージが強いね。
しかし、斎場で御棺を焼き場に入れるのは、
あまり見たくない光景。
ましてや、御骨になって出てきたのを
この目で確認しなくてはならないなんて、
なんて残酷な風習なんだ?
御骨を見なくても、「死」というものは、
既に受け入れているというのに、、、。
こんな儀式なくなりゃいいのに。
うちの母の母、つまり、俺のおばあちゃんは、
自分の夫が亡くなり、御骨を見た途端、
全く、口がきけなくなった。
田舎に昔よくあったような雑貨屋を
切り盛りしてた、男勝りの超元気なおばあちゃんがだよ。
それ以降、おばあちゃんは、亡くなるまで、
ほぼ、しゃべれなくなった。
喉仏を見せて、
「これが、仏様の姿」だなんて、
そんな説明いらねえよ!
御骨見て、楽しいか?
俺はやだね。
自分の母さんの骨もみたかない。
告別式の会場に戻って、食事を頂いたのだが、
腰と尻がいつものように耐えられずに、
みなさんより早めにお暇することにしました。
喪主であるおばちゃんの長男さんへ挨拶し、
そして、娘さんにも挨拶し、
その場を去る。
涙雨にしては、物凄い雨だったよ。
家の間近で見たこの光景が、
花のように散ってしまったんだと
俺に思わせた、、、、。

家に着き、もう何度もこういう儀式に出てるから
また、お浄めの塩ってやつが入ってるだろうと思い、
今迄は、故人に対して、浄めるなんて失礼だろ?
と思って、したことなかったけど、
部屋に、見知らぬ者住んでるのは、
きっと、塩を使わなかったからだろうと
そんなことを考えて、使おうと開いてみたら、
「浄土真宗では、葬儀の時に穢れを清めるために塩は
撒くことはいたしません」とある。
こんなのは、珍しいなとも思ったし、
ああ、今までの自分の考えは間違ってなかったんだと
確証を得た様な気持ちになった。
「死」=「忌まわしい、穢らわしい」
という思想の名残なんだろうな。
「死」というものを
考えさせられる1日だった。
自分の年齢上、これから、増えていくんだろうけどね。
母は「桜の満開の頃、死ぬから、そこに埋めて」
と笑いながら言ったけど、俺、つかまっちゃうし。
でも、そういう遺言ならやるしかないか。
自分が死んだら、
明るいお祭りにしてほしいな。
何の前触れもなく、
この雨風呂やら、ツイとかに
登場しなくなったら、
それが、俺の死んだ時かもな。
泣いてくれる人はいないよな。
だって、死んだかどうか
連絡つかねえもんな。
写真も、選曲も決めとこうか。

うるさいPUNKとか、かけてくれっかな?
恵美おばちゃん、天国で安らかに。