イタリア車 無間地獄      (仮)-Image1110.jpg

1/43『A.ASCARI / LANCIAD50』


モンテカルロの碧い海に飛び込むアスカリのランチアD50!!


十年ほど前に購入した、イタリアBRUMM社製ヒストリックF1マシンのジオラマモデル『AUTO STORY』シリーズの中の一つ。

フラッグ最新の精巧なモデルと比べると、やや大味な造りではあるが、独特の温かみを感じさせる雰囲気と、F1ミニカーをジオラマにしてしまうという発想は、実にイタリア的である。


贒フェラーリ500F2を駆り、圧倒的な速さで1952~53年シーズンを連覇したアスカリは、実はF1史上最初で最後の『フェラーリでチャンピオンを獲ったイタリア人』としても記憶されるF1創世期の伝説のドライバーだ。
ところが連覇の翌年にランチア陣営に移籍すると、コクピット両サイドの前後輪間に燃料タンクを配置した独特なデザインのためか、マシンの完成が遅れ1954年シーズンの半数以上を欠場、満を持して臨んだ1955年シーズン開幕戦はポールポジション獲得と速さをみせながらもリタイア。
そして迎えた第二戦モナコGPのトンネル出口でクラッシュしたアスカリはガードレールを越えて海へ転落!!
皜幸いこの時は迅速な救助により九死に一生を得たが、なんと事故のわずか四日後にサーキットに舞い戻ったアスカリは、テスト走行中に再びクラッシュ!!
こんどこそ帰らぬ人となった…。

当時のことはもちろん限られた資料で見聞きした範囲でしか知らないが、フェラーリ離脱後のアスカリに降り懸かった度重なる不運は、まるで何かに呪われていたかのようにも思える。

チームの柱となるべき存在だった母国の偉大なるチャンピオンを失ったランチアはF1から撤退することになるが、主を失ったマシン『LANCIA D50』はライバルであるフェラーリに接収され、『FERRARI D50』として1956年シーズンに参戦。
J.M.ファンジオのステアリングにより見事タイトルを獲得した。

この一連のエピソードは、先人の屍を越えて伝統を築く、イタリア車の血塗られた歴史を象徴しているようだ。

イタリア車が赤くカラーリングされることが多いのは、それが偉大なる先人達の血の色だからかも知れない。