この方の動画を引用すると、私の意見が説明しやすいので、どうしても紹介することになります
今日も動画を先にご紹介します
容姿のことを言うと失礼になるかもしれませんが、最近、三橋さんの人相があまりよろしく見えないのが気になります
最近は国会の積極財政派が強く意見を言うようになってきているわけですが
私の考えでは、政府が債務を一時的に増やすのは別にかまわないのですが、本当はそれとセットでやらないといけないことがあります
それが”政府の減量化”です
結局、貨幣の仕組みを理論で解明したまではよいのですが
その理論が広がっていった場合に結局どうなるのか?結果が良いのか?悪いのか?という事が一番大事なわけです
そこまでのことに理解が及ばないことが、三橋さんの限界なのだと、私は感じるわけです
これは「知性」というよりも、むしろもう一段上の、「認識力の問題」、つまり「悟性」の問題だと思います
「理論的に正しければ、それを進めていけばいいのだ」となった場合、「何が問題になるのか?」にまで想像力が及ばないわけです
哲学者カント以降、世界は人間の理性というものを最上の価値として、価値判断を下すような風潮、流れが起きてきましたが
もともと、ギリシャ哲学を祖とする哲学は、「神」とか「イデア」というような
形而上学上の存在を、至高の価値として認める価値観の上に構築されていました。。。人間の理性が最上の価値ではなかったのです
例えば、三橋さんが正しいと思っている反グローバリズムの国家、つまり「国民国家」という国の形は
実は、人間の理性によって民主主義的に創られた国家ではありません
「国民国家」という、反グローバリズム的な国家は、もともと旧約聖書の時代に「神の啓示」によって創られたものです
カナンの地、つまりイスラエルは、神の啓示による国民国家として
「他国を侵略せず、すべての国の自決権を尊重する」ことを、「神の定めた法」として原則化した国家として建国されたものでした
この国民国家の根本原則は、当時の人間の頭で考えたものとは、私には到底思えないのです
それは、弱肉強食の時代において、多様性を認め合い、他国の権利を認め合う
そうした、「人間の目よりも、もう一段高いところから見た国家のあり方」だからです
それを神が啓示という形で降ろし、人間に法として従わせた。。。というのは、とても頷ける話なのです
逆に、カントが人間の頭で理性的に考えたのは、世界を一つの考え方で統一するという
グローバリズム的な世界統一政府というものでした
その理想論によって、多様性を認めず、多言語を認めない、不寛容な全体主義国家がいくつも生まれてきています
確かに、世界を一つの価値観でまとめてしまえば、理論的には平和が来て、上手くいくように思うかもしれませんが
現実にはそうはならず、グローバリズム的な統一政府の考え方は、様々な不幸を生み出すことになったのです
人間の理性は確かに素晴らしいように見えるし、民主主義も素晴らしいように見えるのだけれども
本当は、それほど万能でもなければ、素晴らしいものでもないのです
ソクラテスが「ソクラテスの弁明」で語った、ギリシャの民主主義制度の矛盾も
民主主義社会は、多数の意見を神の意見のようにありがたがるが
多数の意見はまた、判断をよく間違えるものだという事を明らかにしています
プラトンが「国家」で語ったことも、民主主義的な多数の意見よりももっと高次な、形而上学的な正しさというものがあり
イデアや神を至上の価値として置いた哲人政治がありえる、ということを説いたものです
難しくなりましたが、要は私が何を言いたいかというと
論理的に正しいものだとしても、それを推し進めていくときに、「人間の頭で考えたようにはならないことが多い」という事です
三橋さんは、ニューディール計画を非常に美化していますが、ニューディール計画は、何度も言いますが失敗しています
その原因は、人間の理性というものが、それほどあてになるものではなく、国のすべてを見通せる人などいないからです
人間は権力を持つと、その力を拡張したくなるものです
たとえば、政府が強大な予算を得て権力を持つと、その力で国民をコントロールしたくなるのです。。。
つまり、自らが国民の支配者として、「神」に成り代わりたくなるのです
いま、政府はワクチンを国民全員に打たせようとしているようですが、これなどちょっと考えられないような横暴です
緊急事態法だって、必要だという人もいますが、私はそうは思いません。。。政府が国民を号令一つで動かしたいのではないですか?
政府の命令一つで、経済を止めさせてでもロックダウンをしたりね
最近でもありましたね?カナダのトルドー首相がトラック運転手を緊急事態法の乱用で不法に拘束した事件が
政府が使えるお金を増やすということは、政府の権限を肥大化させるという事なのです
政府がバラマキを増やすという事は、「国民が、時間をかけてじわじわと政府に飼いならされる」、ということです
デジタル庁とか、子ども家庭庁とか、環境省とか、とかく政府は大きくなる傾向があります
そういう省庁が作られるたびに、実は国民の自由度は下がる、ということなのです
これはね。。。ここに気が付くのは「悟性」が必要なんです
物事の道筋を見通す目が必要なんです。。。
自由というものは、大事にしなくちゃならないんですよ。。。ここに気が付くのは、理性だけじゃ無理なんです
これは一種の「悟り」なんですね。。。三橋さんに足りないのは、実はここなんですよ
ということで、また次回に
釈さん、さすがに鋭い分析ですね
ウクライナ政府と中国共産党の驚くべき共通点。ウクライナ戦争の本当の理由とは?メディアが誤解する真実。(釈量子)【言論チャンネル】
政治思想家・哲学者のハンナ・アーレントは、ナチス・ドイツの反ユダヤ思想、つまりユダヤ人迫害という過激な思想は
世間一般の見方によると、危険な国家至上主義、つまり「ナショナリズム」が、ユダヤ迫害の原因だと一般には見られているものの
真実はそうではなく、むしろナチスが、いまで言う「グローバリズム」的な、「一つの思想、一つの考え方で世界を統一する」
という統一思想の下、全体主義としてユダヤ迫害が行われたことを明らかにしています
ウクライナという国は、過激な民族主義者たちが国の中枢を掌握し、「一つの言語、一つの民族」の、国を一つの価値観で統一する
という考え方に基づいて、ウクライナ国民である「ロシア系民族・ロシア語系民族」に迫害を加えたわけです
つまり、異なった価値観を認めない、というのは、ナショナリズムではなく、むしろグローバリズムの全体主義なのであり
ウクライナこそが、危険な民族統一思想をもつ「全体主義国家」だったのです
そして、最近わかったことですが、このナチスドイツの思想の中核にある「第三帝国構想」は
実は国民国家によるナショナリズムの発露などではなく、帝国主義グローバリズムなのであり
その根源にある思想の発信源は、実はドイツの哲学者、エマニュエル・カントという哲学者でした
カントが、グローバリズムの根源にある世界統一思想の持ち主であり、思想の理論的主柱・背骨だったことが分かりました
カントの思想は、後世に様々な毒水を流しているようです
カントは、エマニュエル・スウェーデンボルグとも親交があり、霊的世界を否定せず、逆に惹かれていたようですが
カント自身には、霊や魂といったことが分からなかったようで、彼の哲学は「分からないことは扱わない」
要するにギリシャ哲学に出てくる「イデア」のような、魂や霊魂をあつかった物には手を出さない、ことを徹底し
その思想を組み立てました
結果、カントの影響を受けた後世の人々が、「不可知論」を展開し
プラトンやヘーゲルなどの哲学を「非科学的だ」とする流れが起きてきました
その流れの中に、カール・ポパーもいて、「開かれた社会とその敵」という書物の中で、プラトン、ヘーゲルを痛烈に批判したのです
ドイツは、カントの影響を受けて第三帝国という「世界統一政府」を作ろうとしましたが破れました
その後に出てきたのがアデナウアーという首相で、この人も実はカントの影響を受けて「世界統一政府構想」を唱え
「ヨーロッパは統一政府(いまのEU)を作るべきだ、そして、二度と戦争を起こさないようにドイツはその政府の傘下に入る」
と強く主張して、その流れが、のちのEU結成の流れになった。。。という経緯があります
つまり、ヨーロッパのグローバリズム的な、「多様性を認めない一つの統一国家をつくる」という構想の根源にはカントがおり
カントが「霊的なものと哲学を分離した」ことから「政教分離」の流れが起き、それが共産主義思想の源流にもなりました
そしてその毒水は、「欲望の自由」を肯定するポパーへと流れ、ポパーの思想はジョージソロスを動かし、世界を混乱に陥れています
カントの思想は、唯物論として流れて分派し、共産主義と極端な欲望の自由主義の両方を生み出すことになったわけです
ですから、思想というものは、後世に多大な影響を及ぼすわけですね
私は、思想を紡ぐことは大切なことだと思うけれども、そこに霊的なもの、イデア的なものを完全に排除すると
間違った方向に行くと思っています
ロシアのプーチン大統領は就任後、ロシア正教を復活させました、トランプ大統領は「建国の精神を取り戻す」と言いました
アメリカの建国の精神は、宗教心に満ちた精神です
宗教心とは、実は非常に大切な道徳、倫理観のもとを作るものです
神話や誇りを無くした民族は、すべからく滅ぶと言います。。。
そうならないためにも、いま日本は精神性を取り戻すべき時に来ていると思います
及川さんの動画は本当に勉強になります
ちょっと音声が小さかったのが残念です
知らない人が多いと思いますが、無税国家を目指せ、というのは、幸福実現党立党当初から、政治の理想として言われていたことでした
幸福実現党の憲法草案(大川隆法総裁試案)には、次のような条文があります
第十一条 国家は常に、小さな政府、安い税金を目指し、国民の政治参加の自由を保障しなくてはならない
私はこの条文を見た瞬間に、非常に心惹かれたのを覚えています
政府は、そのまま放っておけば、法律をどんどん作り、政府機能をどんどん複雑化・肥大化させて、国民の自由が失われていきます
そして、政府が大きくなるほど、沢山の予算が必要になり、結果、税金が高くなり、これも国民の自由を縛っていきます
重税とは、国民の自由が失われることだという意識が、日本人にはとても希薄です
しかし、税金を沢山集め、それを国が国民に配るような「配給社会」は、これは国民の働く意欲を奪い、社会の活力を奪います
この動画の中で、「単年度予算を見直す」という事が出てきますが
この考え方も、実は大川隆法総裁から発せられ、それを幸福実現党政調会でまとめたものだと聞いています
つまり、幸福実現党の政治思想の根本には、常に北極星のように、大川総裁の存在があるのです
驚くべきことですが、この根本精神は、幸福実現党立党以来13年、まったく変わらず、そしてブレないのです
要するに、この考え方の中には、「政治思想において普遍的な考え方」が入っている、という事なのです
若き日の大川総裁が影響を受けた思想家には、故渡部昇一先生や、政治思想ではハンナ・アーレントの思想があると言います
渡部昇一先生は若い頃、自由を重んじる哲学者であり経済学者のハイエクの薫陶を受けて影響を受けています
渡部昇一先生は「税金は10%でいい」という持論の持ち主であり、やはり税金は安くすべきとの考え方の持ち主です
また、ハンナ・アーレントの思想は、「政治の要諦は”自由の創設”にある」というもので
自由を重んじる政治思想であることは明らかです
こちらも、ご覧いただきたい動画です
経済評論家、三橋貴明さんは、「アメリカはニューディール政策で経済が復活した」と主張していますが
それは間違った見解だと私は思っています
財政拡大を全面否定するつもりはありませんが、それだけでは、本当に強い国には戻れません
国に食べさせてもらう国民。。。そんな弱弱しい国家像はやめて、無税国家で世界一の豊かな国を目指そうではないですか
今日は一風変わった日記ですが、私が日記を書くときに「恐怖でなにも書けない」瞬間があることを語りたいと思います
私には、ときどき、「何も書けない」瞬間が訪れることがあります
以前はそんなになかったのですが、最近はちょくちょくそんなことがあります
と、言いますのも、どんなときに書けなくなるかと言うと、それは、「明らかに自分の知的思索レベルが落ちている」ときです
エンタメ系のユーチューバーはともかく、政治系のユーチューバーなどの動画を見ていると良くわかるのですが
明らかに「最近勉強していない」ということが分かる人と、「いつもよく勉強している」人と、やはり実力差を感じます
及川幸久さんなどは、あれほど忙しく政治活動を続けながら、知的思索レベルが落ちないというか
知的な練り込みのレベルが、常に高い状態を維持しているんですよね、驚きですが
逆に、某政治系若手ユーチューバーなどを見ていると、情報をとって、それに適当にコメントを加えて発信しています
知的な訓練をしていないのが、言葉の端々からまる分かりで、聞いてて「薄っぺらい」というのが、すぐに分かってしまうんですね
恐ろしいことですが、勉強不足はそれなりの人から見ればすぐ見抜かれてしまいます
彼にしても、毎日習慣化して、常に発信を継続するその努力は大したものですが
発信を続けるには、やはりそれの数倍の勉強が必要なのです
勉強を怠っていると、ただ情報を右から左に流すだけの、単純な”作業”になってしまいがちです
実は最近の私は、知的思索のレベルが落ちてくると、それと同時にインスピレーションも降りてこなくなって
流れ作業的に何かを書いたとしても、自分で自分の書いた文章に、自分で納得がいかなくなってきてしまうのです
これは苦しいことですね
自分は物書きではなくて別の仕事をもっているので、一日のなかで使える時間は限られています
勉強のために本を読む時間を取れば、その分情報を取る時間や文章を書く時間が取れなくなる
本当にジレンマですよね
ただ、最近言えることは、インターネット上で情報を取るだけの生活をしていると
知的訓練が不足して、内容が薄くなり、枯れていきます。。。これはどうしようもないことです
不思議なことですが、知的訓練には、紙の書籍。。。古典の名著を読むことが一番効果があります
なぜなのか?それを今日は考えていました
そして一つ面白いインスピレーションをいただいたのです
いくつか前の日記で、私が「カール・ポパー」のことを書いた後に起きた、霊的な現象のことを覚えているでしょうか?
その時に書いたことが
古典を読むと、その著者と波長があってきて、霊的な指導を受け始めるようになる。。。というものです
私の場合、たまに自分の書いたものを見て、「これは自分の考えじゃないな」と思うことがあります
そういうときは大抵、しっかり知的努力を続けていて、心がよく調和されている状態のときに起きます
そして、その時には必ずと言っていいほど、明確なインスピレーションが下りてきます
自分でも驚くほど、色んなインスピレーションが下りてきて、スムーズに考えがまとまっていくのです
これはもしかすると、書籍の波長と自分の波長が合ってきたときに、インスピレーションを下しやすい状態になり
半瞑想状態に入って、霊的な指導を受けている状態なのではないか?と思います
ですから。。。。「古典の良書を読む」というところに、実はヒントがあると思うのです
古典の場合、著者は大抵「亡くなって」います。。。そこがミソなんですね
私は以前、あるところで、「ロックフェラーの研修」というのを受けたことがあります
その時に、とある「大富豪」のポスターを見つけて眺めていたんですが、その時不思議なことに、心に声が響いてきました
その声は、「研修を受けにおいでよ」という声でした(笑)
まあ、霊的なものを信じない人はそれを眉唾だと思うかもしれませんが、誰に何と思われようと別にかまわないのです
事実は事実ですから
そして、その経験を思い出して、なお一層、「インスピレーション」ということに思いを馳せることができたのです
「天は自らを助くる者を助く」
という言葉は、霊的に見ても真実だと思います
自らが努力を重ねていくなかに「天からの助力もまた来る」ということでしょう
今日はそんなことを考えた一日でした
選挙が近くなってきたので、様々な政党が政党ポスターを盛んに貼りだしています
日本の左翼政党の多くが、いまは「消費減税」を言い始めました
それは大変すばらしいことだと思っています
やはり、左翼政党がまとまって「減税」を言い始めると、与党もやはり「減税を言わないと選挙に負けるかも」という恐怖心にかられ
減税について、真剣に考え始めるところがあるので、歓迎すべき現象だとは思っています
ただ、多くの左翼政党が、実に残念な存在であるのは、彼らが「本当の減税政党ではない」、というところなんですね
彼らにとって消費減税とは、単なる「弱者への救済策」にとどまっているわけです。。。まあ生活保護の延長ですね
消費税は低所得者に厳しい税金であるから、「もっと高所得者への税率を高くして、低所得者の負担を減らせ」
と言ってるにすぎないわけです
彼らには、経済全体を見通すだけの知識も見識もないため、何が経済を良くし、何が悪くするか、が基本よく分からないわけです
「大企業が内部留保を貯め込んで儲けているために、国民の給料が下がって苦しんでいるんだ」
くらいに思っているんだと思います
最近、街角でよくポスターを見かける「れいわ新選組」ですが、彼らも基本的には上記の左翼政党と、ほぼかわりません
一つ違うのは、彼らがMMT現代貨幣理論で理論武装していることだけです
山本太郎氏などは、MMTの”ミソ”をよく知っているはずなので
いまは財政拡大で国民にお金をバラまくとしても、「それがいつまでも続けられない」、という事は理解しているはずです
どこかで限界値がきて、インフレが加速していくことになりますので、「どこかで国民のお金を吸い上げる必要がある」
ことは理解しているはずです
その場合、国民のお金を吸い上げる方法は、金融引き締め(公定金利の引き上げ)と、増税という手段があります
問題は、「金融引き締め策に効果がないとき」、です
インフレが続いて止められない時、最後の手段は「大増税」となるわけですが、山本氏なら、何を増税するでしょうか?
彼ならたぶん、「お金持ち」や「大企業」から、税金をたくさん取ろうとするのではないでしょうか?
まあ、そこが若い人のシンパシーを得られるところで、「もっと金持ちから税金を取れ」という
共産党的な主張に傾くだろう、という事は容易に推察できます
でもね、世界経済をつぶさに見れば分かるように、大企業やお金持ちから税金を沢山取ろうとする国からは、お金が逃げるんですよ
それはそうです
政府が「ネズミ小僧」になって、金持ちからお金を取り上げて、それをバラ撒かれるなんて、たまったもんじゃないですからね
国民へのバラマキに自分たちのお金が使われるなんて、そんな重荷を背負わされるのは御免だ。。。誰だってそうなるでしょう?
結局、政府が左翼思想にかぶれ、バラまき中心に考えるようになったら、経済は空洞化し、社会全体が貧困化するわけです
結局、「ネズミ小僧」は政治家には向かないんですね
結局、私が何を言いたいかと言いますと
MMTであっても、「魔法の杖」じゃないんですよ、ということです
現代貨幣理論で一番大事なことはね、「経済成長があってこそ、財政拡大は許される」という、この順番です
国家ビジョンとして、経済成長には何が必要かをよく考えるべきです
それは、国民に金をバラ撒くことからは始まらないんですよ
すべては国民の心がけ次第。。。それが、経済が成長するか衰退するかの分岐点だと思います