ゲーデルの不完全性定理。

 

矛盾のない公理システムは自らの無矛盾性を証明することができない

 

 

というもの。

 

 

さっき読んでた本からの引用だ。

 

 

これは思うに

 

 

釈迦に言わせたら悟りの境地か。

 

 

つまり、自らのゲシュタルト(全体)を見る。

 

 

これは東洋哲学では悟りだが

 

 

西洋哲学では矛盾を意味している。

 

 

という私の見解だが。

 

 

単純に考えれば

 

 

観察者の観察対象には観察者である自分自身を入れることはできない

 

 

という論理的帰結だ。

 

 

これを破れば当然、矛盾が生じる。

 

 

というのが西洋的な考え方だが

 

 

なぜか東洋哲学では不思議なことに

 

 

釈迦はその矛盾を悟りという境地を開くことによって

 

 

乗り越えてみせたというわけだ。