こんちちは!

3連休いかがでしたかっ。

海行ったりしましたか!?

私は持病にうなされたり、ゲームしたり、バーベキューいったりしたらあっというまに終わりました…

久しぶりに外の世界に触れたのでなんだかとっても新鮮ヽ(゜▽、゜)ノ


この↑冒頭文いるかな…。
脈略なさすぎよね…。ま いいか。


いきなりだけど、傷がある人!?
傷ある人、手~あげてみそ。

体の傷じゃないわよ。
心よっ。

でもね、体の傷も心の傷もおんなじだと思うのー。
いつか癒されるの。

だけど体の傷は目に見えるからわかっても、
心の傷の直し方ってなんと分かりにくいことか。

治るまえに色々いじくったり、
みないふりして放置したり、
同じ傷の上に傷をつけちゃったり、

やりがちよね。

傷に塗る薬だと思って塗ったら、劇薬だったことも…(くっそ(TωT )

しかも目にみえないもんだからその傷がどうなってんのか…

かさぶたかい?
治りかけかい?
膿んじゃってるかい?
そもそも傷なんてないのかい!?
…わかりにくいのよね。

あぁややこい。

よく言う、
「自分のことが一番分からん」というのはまさにこれなんだろうね。

つい常識や一般論や俗情に流され、
「これでいいんだ」と思いこまされることってあるよね。

常識にあてはめることはとても大事だけど、自分の本心を常識にあてはめちゃだめよね。

…分かりにくいわね。

例えば、結婚している相手を好きになってしまったと。

まぁ2言目にゃ「そんなのダメだよ!!!」って言われるわね。
そんで「ダメだから好きなのやめなきゃ!!」って苦しむ。

しかしそのダメってのはね、
『好きだという気持ちを抑える』のではなく、
『つき合いたいという行動を抑える』
ことなのよ。

気持ちはどうしようもないもの。
だけど行動はどうにかなるもの。

みんな、こういった問題で苦労するのは、
気持ちを抑えなきゃって思うからじゃないのかな。

気持ちを切り替えなきゃいけないと思うから苦しいししんどいんであって。

気持ちはそのままでいい。

だけど、やはり不倫はだめだから行動を制限する。

この方がよっぽど健康的だよね。

ついね、本心を替えようとしてしまうから、だから傷がどこについたのか、どんな傷なのかわからんくなるのよ。

好きなのに、好きじゃないフリするから傷がついたことに気付かない。

だけど実際には傷はついているんだから、次の恋愛の時に傷が痛みだしたりするのよ。

まずは傷を認識すること。
それからゆっくり癒してあげること。

あら、じゃどうやって癒えるのか…

つづく

数少ない私のブログを見て下さるみなさまこんちくわ!

最近めっきり私の書いている意味が漠然としすぎてて意味がわかりにくようで…。
かといって具体的に書くわけにもいかず(笑

まぁいつもの感じでいきます。


毎日暑いですね。

くたばっていませんか?
ニコニコしてますか?
美味しいなーとかうれしいなーとかありますか?

なんとなく重いタイトルではじめちゃいました。

『別れ』
なんというか響きがやですよね。
昼ドラの感じ?
なんかつい「うっ…」って顔を背けたくなる言葉ですよね。

しかし諸行無常の世の中。

出会いがあれば別れもあるのは当然の事。
別れがあるからこそ出会いがある。

なのに出会いは喜びこそすれ、別れについてほんと無頓着な人多いなーとおもうの。
むしろあえて見ないようにしているというか…。意識しないようにしてる?
臭いものにはフタですか?

なにしろ別れの時ってぐちゃぐちゃしがちですもんね。
ついそんなの敬遠したくなるってもんよね。

別れはつらいですよね。
切り出す方も。
切り出される方も。

しかしつらいからといって、それに向き合わないのはいかがなもんか。

キチンと向き合っておかないと、だめなことってあると思うんだな。

つい、別れがつらいからといって他へ逃げてしまうことってよくしてしまうと思うのね。

何か趣味仕事に逃げたり、他の相手に逃げたり…。

その悲しみに向き合わずに逃げれば確かに気持ちは楽になれる。
悲しみを忘れられた気になれる。

別れて悲しいんだから、素直に悲しんでおけばいいのに、
「別にあんなのどうでもよかった」とか
「他にも色々忙しいし」とか
「だって相手が◯◯だし」とか相手の問題にすりかえたり。
悲しみを無理矢理封印しようとする。

…思い当たるフシないかしら?

これね、すっごくよくないよ。
なんでかって、こうやって自分の気持ちをごまかすってことはどんどん自分を見失ってくってことだから。

自分の気持ちがわからなくて、この後どうやって他の人とつきあっていけると思う?

自分の気持ちさえ分からないのに、相手に自分の事分かってもらうことなんて無理じゃない?



自分の気持ちに素直になることはとてもしんどいことだと思う。

素直に感情や気持ちを表に出して、受け入れてもらえなかったらどうしようと思うから。

でも受け入れてもらえないもんはしょうがないんだよね。
こっちがどう思ってしまうかというのがどうしようもないと同じように。

前も書いたと思うけど、
相手に受け入れてもらえないのは、あなたがダメだからじゃないんだよね。
つい自分に価値がないような気がしてしまうけど、
ただその相手と合わなかっただけで。


もしこれを読んでる方で、今まさに別れの真っ最中で、めちゃめちゃーーって人がいたら、
まずは自分の気持ちをしっかり感じてみて。

まずは悲しんで。

へたにあれこれ考えたり、策を練ったりしちゃだめ。

それから自分がどうしたいか。

そしてそれをしっかり相手に伝える。

そしてそれを受け入れてもらえなかったら、勇気を出して手放す。

シンプルな、そしてとても素直な別れ。
未来の自分のためにね。
最近人間関係がおかしいことになっている。

と思いません??

うーむ。

人間関係をつなぐものが全部デジタルになっているというか…。
記号化してるような気がしてならん。

インターネットが普及してからなのかな。
携帯が普及しだしたころからなのかな。

「人とつながっている」感覚がずれているような気がする。

私は一年に1回しか会わない友達とかたくさんいるし、
連絡とるのすら年単位だったりするの。
だけど会って話したりすると、何年もあってないとは思えない時間をすごせる。

向こうはどう思ってるか知らんけど、これって友達じゃないとおもう?

連絡とる回数が友達の基準なの?

毎日会っていれば親友なの??

毎日会っていたけど、遠くへ引っ越してしまって会わなくなったら友達じゃなくなるの?


携帯電話やPDAやパソコンの普及で、人と知り合う機会が増え、連絡も取りやすくなったけど、
知らない人相手だと強気になれるひと、攻撃的になるひとってなんなの?

画面の向こうにいるのも、存在している生身の人間であるという想像力が…ないの?

想像力が乏しすぎるの?

もちろん時代とともに価値観がずれるのなんてあたりまえで。
マイナスばかりじゃないこともわかっているけど、
ぶれちゃいけないところってあるんじゃないの?


「人とつながっている」感覚がずれているような気がする。

それとも私がずれているだけなのかしらね。
「何フェチなん!?」
なんてセクハラ全開の質問を軽く流せる大人になったミヨです。

てか「セクハラ」って言葉ももういいよね…
過剰反応しすぎよね…


フェチ=フェティシズム
て、性的嗜好という意味なのですが、みんなけっこう
「好みのタイプは?」くらいの感覚で聞いてますよね。

今回はあくまで外見だけの話になりますけど
好きなタイプて、
歳とともに固定されていきません!?
そして歳とともに好きなタイプと実際つき合うひとって違う事が多い…。

私なんかは、
・うっすら筋肉ありの細身
・顎のラインが横幅狭くて骨っぽい
・手の指が細くて骨っぽい
・髪が長い
この4つが相当なポイントなんですけど、
なぜこんなことになったのか??というとですね。
私の愛するMichael JacksonのPVを見てて笑いました。


The way you make me feel

これ小学生のときに多分数百回は見てまして。(歳がばれる…w)
MJの曲の中で一番好きな曲なんです。

…きづきました?
私のフェチってこのPVのマイケルから来てたんですよw

このマイケルがかっこよすぎて当時本気で惚れていましたからね…w

そしてこのPVの中で彼に追いかけられている女性のスタイル(服装とか髪型とか)
これまんま私の好きなスタイルじゃん!!と大人になってから気付いたときは
もう大爆笑でしたよ。

意識してなかったけど、このPVが私の好みのルーツだったわけですね。
「これだったのかーーーーー!!」って気付いたの、ほんの数年前ですもんw

上は私の例でしたけど、
私の友人なんかは(男性)よーーーーく思い出を掘り下げてみたら
小学生の担任の女先生がルーツでしたw

先天的なものもあるとは思うが、フェチってのは後天的要素が多いんじゃないかなー。

アイドルなどをおっかけていたひとは
美少年好き、
アニメにはまってしまったひとは
2次元好きになってしまったりするのでは…

自分の好みのルーツはどこからきてんだろ!?
と旅をしてみるのも面白いもんです。
だいたい思春期~それ以前に「種」が蒔かれていることが多い模様です(当社調べ)。
人と人のふれあいというものは
あるいは一種の幻想なのかもしれない

究極ひとつの魂が自分のものでないもうひとつの魂を
完全に理解するなどということは
ありえないのだから

幻滅が過酷ならはじめから望まねばよい

傷つくのがつらいなら
はじめから失いたくない物など持たねばよい

愛さねばよい
望まねばよい
感じねばよい

そうだ 今この瞬間の自分の生をさえも期待しなければよいのだ

けれど…
そうして行方を失った魂は
やがて自分の内なる狂気の世界へしか解き放たれ得ない

魂を狂気の中へ解き放たずにいるためには
たとえ失望し傷つくとわかっていても
人は愛し希望し感動せずにはいられない

とどのつまり人間の魂というやつは傷つくようにできているというわけだ



池田理代子さんの「オルフェウスの窓」での一文。

かれこれいろんな本を読んできましたが、これほど感銘を受けた文もそうない。

人が人を恋うることを、こんなにも切実に重みをもって、
しかしその恋うことをやめられないジレンマ、
そんなもんまで表現できる名文が他にあるかーーー!

そうよ…
だから何度傷ついたって
二度と恋なぞしない!とだけは思わないんだよなー…。

…それとも私は懲りないだけなのか…。。。?