告白”絵画モデル まち子” 出逢い
私の手元に残った、美しい絵の数々。 それが、あんなにも激しい愛憎の中で描かれたものであることに、私は不思議さを憶える。
これらの絵が、どうやってアトリエの中で描かれたのか、それを綴っていきたいと、思う…。
● 雨の中の出逢い
6月のその日。雨がふっていた。
だが、中野の駅前、ブロードウエイ商店街の通りを横に曲がった飲みや街の中にある、スナックKの会場は、満席で熱気に満ちていた。
ある小説月刊誌を出版している女性編集の、快気を祝う会だったのだ。
豊島区に住む女流小説家の藤まち子は、つい3分ほど前、小学校1年生の幼い娘の手を引いて、会場にかけつけたばかりだった。
会場のスナック店内を見渡す。
店内の壁際はすべてぐるっとソファ席になり、向かいあうようにその前に置かれたテーブルを挟んで、ずらっとスツールが置かれていた。
壁際の席はすでに満員である。
まち子は、会場の末席、ドアに近い方のスツールに座った。
子連れの身なので、遠慮している。
とはいえ、腰近くまである長い黒髪を垂らし、真っ赤なキャミソールに、超ミニの黒のスカート。
しかもそのミニスカートには鋲の前ボタンがならんでいて、下から3つめまで開けてある…。
座ると、白い太股がむっちりと覗く…。
は、いささか華やか過ぎた装いかも知れない。
幼い娘は、白い提灯袖のブラウスに、水玉のフリルのスカート。
レースのついた白いソックスに、サンダルをはいている。
まち子が腰をおろした席の向かい側には、非常におとなしそうな、50過ぎくらいの小柄な紳士が、座っていた。
頭髪にちらほら白いものが混ざっている。
夏のグレーの背広に、非常にお洒落なループタイをしていた。
そのタイが、黒い石を金と別の石が囲んだ、見たこともないような、シックなデザインだった。
お洒落で、おとなしそうな人…というのが、彼の第1印象だった。
「よろしく」
まち子は目の前の男性に、軽くしゃくをした。
彼も、はにかんだ表情で、頭を軽くさげた。
前のステージに、大手出版会社の、k文社の男性編集長、山村さんが立って、
「a出版社の名編集長、夏子さんが、病を克服して無事に手術をおえ、ここに復帰いたしました。まだ、退院したばかりで、あまり無理はできないとのことですが、これからの大いなる活躍を期待し、病気快復のおめでたさをしゅくして、乾杯の音頭を取らせていただきたいと思います…」
と挨拶をした。
女性編集長の夏子さんが壇上にあがる。
40過ぎの、肥った貫禄のあるすご腕の女性編集長だ。
「このたびは、私のために、こんな盛大な会をひらいてくださり…」
a出版社は、非常に小さい出版社だが、官能小説系の月刊誌を出している。
小さい出版社にも関わらず、執筆メンバーは、有名作家、直紀賞作家、売れっ子作家、そうそうたるメンバーが、名前をつらねている。
それは、この名物女性編集長の手腕と人脈によるものが多い。
まち子も、まだ素人で神戸にいたとき、彼女の雑誌に投稿し、採用してもらった。
それ以来書かせてもらっているので、この会にも呼ばれたのだ。
「よっ、まち子ちゃん来てたの? お嬢チャンも一緒? キレイなママと一緒でいいねえ」
「まち子チャン、飲んでる?」
顔見知りの画家さんや、出版関係者が、声をかけてくれる。
目の前の50過ぎの男性は、寡黙な人らしく、彼の方からは、あまり話しかけてこない。
まち子はもっぱら、彼の隣に座った、和服の着流しの時代劇作家、s先生とばかり喋っていた。
50過ぎの男性は、きわめておとなしく、水割りを飲んでいる。
本の時折、まち子の娘、奈美に、
「お嬢チャン、なにをするのが好き?」
とはなしかけたりしている。
男性の水割りが空になっていたので、
「先生、お作りしましょうか?」
とまち子が声をかけた。
本来なら、自分の名詞をさしだし、挨拶なり事故紹介をするのがこういう席では礼儀なのだろうが、まったくまち子は人と話すのが苦手であった。
できたら、最小限の言葉しか、喋りたくない。
けっして傲慢というのではなく、上手く会話をする自信がないのである。
この頃のまち子は、対人関係恐怖症といってもよかった。
でも、水割りをお作りしましょうか? くらいは言ってもさしつかえあるまい…。
水割りを作るために、ボトルや氷が置かれつたテーブルは、まち子の後ろにあるのである。
時々このスナックのホステスさんがまわってくるのだが、手が足りない。
水割りを作りに行って、彼の前に、
「どうぞ」
と置いてあげた。
「あ、ありがとう」
ぎこちなく頭をさげた彼は、意を決したように背広のうちポケットから、名詞をさしだし、
「ぼ、僕、藤先生の挿絵を、HE出版社で描かせていただいているんです…保田と言います…」
挨拶をした。
こころなしか、彼の声が震えている。
それが、彼との出逢いだった…。