告白 <絵画モデルM子>
作家K氏との出逢い
彼は扉を鍵で開けると、
「どうぞ」
と低い声で言った。
好奇心一杯。おそるおそる部屋の中に入る。
広々としていた。
クリーム色の壁に、木のデスク。
テレビもあった。
「先生、見ていいですか?」
私は彼の許可を得てから、デスクに置いてあった手書きの原稿用紙を、ぱらぱらめくった。
以前から、K氏の小説の大フアンだったのだ。
ベッドのはしに腰かけて、彼とおしゃべりをする。
何気ない会話を交わしていたと思う。
そのとき、思いもかけず、彼がいきなり私にがばっと襲いかかってきたのだ。
思わぬ展開にびっくりした。
「先生、やめてください!」
私は抵抗した。
そして、ぱっと起きあがって駆けだすと、ドアを開け、廊下に出て、そのまま、帰ってしまったのだ。
えらいことになった…。
途中までは、楽しく飲んでいたのに…。
タクシーの中で、まち子は考えていた。
でも、絶対にあの場は帰ったほうがよかったのだ。
そのほうが男性は好きになって、必ず追いかけてきてくれる。
最初のデートで許してしまうなんて、とんでもない。
恋が始まらない。
さあ、彼は、次にどんな手を打ってきてくれるだろうか…。
こうなったら、女の方が優位である。
お手なみ拝見…。
そんな気持ちで、私は彼の出方を待っていたのだが、さすがというか、その次の朝早く、8時くらいだっただろうか、もう、彼から電話がかかってきた。
「昨夜は一人で帰してしまってすいません。無事に帰れましたか?」
と彼は聞いた。
その他のこと、ベッドで襲いかかったことなどには、いっさい振れない。
「ええ、大丈夫でしたわ、先生、すてきな場所に連れて行ってくださって、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。とても楽しかったですよ」
そうおだやかに言った彼は、たたみ込むように、
「よかったら、今日また、逢えませんか?」
と言った。
「えっ、今日ですか?」
「まち子さんは、お好み焼を焼くのが得意だって、言ってたでしょう。あなたのアパートに行きますよ」
そう言えば、そういう話しをした。
「それは嬉しいんですが、今日はちょっと、予定が…」
実際に用事があったので、言葉を濁すと、
「では、明日は?」
と彼はすぐ聞いた。
「明日も、ちょっと…せまいアパートですし…」
「そんなこと、僕はぜんぜんかまいませんよ。今週で、開いてる日は、いつですか?」
「そうですね…」
考えたあげく、
「金曜日なら」
と私は答えた。
「わかりました、金曜日に行きます。楽しみにしていますよ!」
いつも寡黙な彼が、本当に嬉しそうな、弾んだ口調になった。
「はい、お待ちしています」
「じゃあ、またお目にかかりましょう」
彼は金曜日に、まち子のアパートのある近くの駅にやってきた。
お好み焼きが、彼の本当の目的でないことは、わかっている。
「まず飲みましょう」
と言うことになって、
駅近くの商店街のスナックで、飲んだ。
静かなスナックで、薄暗く照明を落とした店内に、客は私たちとあと1組だけだった。
カウンターに並んで座る。
30代の女性が、カウンターの中から、私たちの相手をしてくれた。
その日の彼は、白っぽいジーンズに、素足に白いスニーカー。
薄く透き通った胸肌が見える黒いレーシーなシャツ。そのシャツの胸ポケットには、やはり黒地に柄の入ったレースハンカチを垂らしていた。
二人は、非常に静かに飲んでいたのだが、カウンターの中のお姉さんには、この異色のアベックは、どのように写ったのだろう。
私はその日、セミロングの普段着のチャイナ服を着ていた。
お姉さんは彼に、
「ご職業はなんなんですか?」
と質問した。
「僕ですか。歯医者ですよ」
そう冗談を静かに言って、彼は苦笑いをした。
カウンターの中のお姉さんは、おたなしいタイプの女性であったが、明らかに彼に興味を持ったように見えた。
カウンターのもう一方のはしにも他の客がいたのだが、お姉さんは、私たちの側に、すぐ帰ってきた。
タイミングよく、水割りをすすめてくれたり、歌をすすめてくれたり、する。
彼が最初にカラオケで歌を唄った。
小柳るみ子の、「お久しぶりね」。
彼がこの歌を好む理由を、私はわかる気がした。
(もう一度もう一度生まれ変わって。もう一度もう一度巡りあいたいね)
このフレーズに、じんと来たのだ。
彼はこんな風な思いにとらわれたことが、かってあったのだろうか…。
