近年よく耳にする「ハラスメント」というワード。主にセクハラ・パワハラ・モラハラ・マタハラといった、いわゆるハラスメント問題をニュース等で取り扱うことが増えているからだろう。

 

 そんなハラスメントには、様々な種類がある。上記の例は主要なものであり、ほかにも探せばいくらでもあるだろう。そんななか、最近SNSで話題になった新たなハラスメントがある。それは、「マルハラ」である。一見、何を対象としたものかわかりにくいが、この丸とは、文章の終わりにつける「読点『。』」である。これを文末につけたメール文が、「怒られているように感じる」ということで、ハラスメントの対象となっているようだ。

 

 これを知った時、私は初見で「敏感すぎるのでは?」と思った。友達とのメールなら多少固いな、とは思うが、これが社用メールや上司との連絡であれば何の変哲もない文章ではないだろうか。

 

 さて、この問題を友人とさらに考えてみたところ、「『ハラスメントだ』と言ってしまえば自分の都合のいいように周りを支配できるのでは?」という疑問が出てきた。ハラスメントという言葉に敏感になっている現代社会において、ひとたびこの言葉を放てば、相手は何もできなくなる。それを逆手にとってハラスメントという現状を、私たちは「ハラスメントの乱用」だと考えた。

 

 ハラスメントとは、「人の尊厳や人格を侵害するような行動・言動」である。しかし、現状のハラスメントは、なんでもないことでさえ、嫌だと感じたらハラスメントとして訴えようとする傾向が強まっている。先に挙げたマルハラがその例だろう。そこで、私たちは、ハラスメントの正しい在り方がゆがんでいるのではないかと考えた。

 

「ハラスメント」というものを武器にとして、自分の都合のいいように周囲の環境を変えようとしてしまう人が増えているのが今のハラスメント問題だ。相手に対して「それはハラスメントだ」と言えることが、被害者を守る「盾」であったはずなのに、一方的な押し付けを通す「矛」になっている。正しい在り方のゆがみが、「ハラスメントの乱用」という一種の社会問題を作り上げているのだ。

 

あからさまなハラスメントには、被害者・第三者ともに毅然とした態度で立ち向かうべきである。しかし、いじめやこのハラスメント問題の根本の難しさである、「人によって感じ方が異なる」といった特徴を考慮するために、各人に今必要とされるのは、「社会的モラル」である。社会的モラルをもつことで、ハラスメント行為そのもの・不必要なハラスメント認定の双方に気を付けることができるはずだ。