私の祖父母は、100歳と90歳。
90歳の祖母は、肝臓腫瘍が悪性化し、85の時に肝臓がんと診断。
「がん」と言っても、年齢が年齢なので、急激に進行することもありません。
「一応やっておくか」と言われた抗がん剤治療。
この治療のために入院したことで、一気に認知症が進んでしまいました。
元々はすごく元気で、どこへでも歩いて出かけるようなおばあちゃん。
認知症がコンボして「認知症だけど体は元気」だから「何をするかわからない」ばあちゃんになってしまったのです。
抗がん剤治療、辞めてえ・・・
そう言って、おばあちゃんは2クールで治療をやめました。
それからは、寿命とがん細胞が「死」というゴールに向かって、どっちが先になるか追いかけっこをする日々です。
認知症がひどくなったおばあちゃんの面倒を見ていたのが、100歳のおじいちゃん。
このおじいちゃんはすごく苦労したおじいちゃんでした。
小学生を卒業してから国鉄で働き、全て家にお金をわたしていた。
21で海軍として戦争に行った。
「この戦争は負けるから、お前は船を降りろ」と言ってくれ、船から下ろしてくれた上官。
自分が乗っていた船と、命を助けてくれた上官や仲間は、グリーン島というオーストラリアの近くにある島周辺に沈んだ。
日本に帰ってきて、大将の秘書になった後も、奇妙な縁に命を救われた。
大将について会議に参加するはずだったが、急遽参加する予定が変更になった。
自分は東京で待機。
仲間が代わりに会議に参加することとなった。
会議は広島。
その日、アメリカ軍の原爆が投下された。
大将や、自分の代わりに会議に参加した仲間は、皆亡くなった。
先に逝った人たちの分を生かされてると、恩給も辞退した。
先に逝った人に申し訳なくなると、終戦の日が近くなると毎年体調を壊した。
ばーちゃんはというと、敗戦後、GHQに殺されると思って、友達と約束したそうだ。
「GHQが来たら、あそこの山に行って一緒に死のうね」
戦争から帰ってきて、じいちゃんは結婚して子供が生まれた。
でも数年後、子供が亡くなった。
結核だった。
冷たくなった子供を、「まだ暖かいから」と、妻が抱いて眠っていた。
その妻も結核で亡くなった。
その後、祖母と結婚し、田んぼだった沼地を一から開墾した。
自分で埋め立てた土地に、家を建てた。
その家で子供を4人育て、孫が8人、ひ孫は11人になった。
先日、祖母が高熱で入院した。
肝臓がんの影響だろうということだった。
周りは「もしかしたら・・・」と予想したが、本人はいたってケロッとしている。
昨日、祖父も入院した。
風邪をひいて軽い肺炎になっているという。
こうして、隣の病室同士で入院することになったのだった。
前、ばあちゃんが
じいちゃんは奥さんを見送っただろ?
2人も見送らせるのは可哀想だっけ、
私が見送らないといけね。
と言っていたのを思い出した。
ボケまくって、日中ナースステーションに常勤になってるけど(笑)、その約束は覚えているんだろうか?
こんな100年と、90年を過ごした2人は、確実に最期に向かっている。
ボケていても、次男(10ヶ月)をみると
「おれ何時間でも見ていられるわ〜」
「この子がいれば何もいらないわ〜」
と言ってくれたばあちゃん。
そんなばあちゃんになれる日は来るのかしら。
「お祝いあげたいんだ!」と、もの取られ妄想どころか、配りまくって心配されるばあちゃん。
人生100年は、
辛いことも沢山あって、
別れもあって、
罪悪感も時には背負いながら
生きていく。
それでも「最期を見送ってやる」って言ってくれる人に出会える人生について、じいちゃんはどう思っているんだろう?
やっと走り切った?
やっと終わった?
何かやりたいことはある?
伝えたいことはある?
顔を見られるうちにお見舞いに行こう。
人生100年近くを最期隣同士で、ほとんど時を違えずに終えようとしている2人は、すごく幸せなんじゃないかと、
34年しか生きていない人間からはそう思ったりする。
取り留めない気持ちメモでした〜〜〜