オピニオン
あなたは自分自身の判断をするとき何を信じますか?
私の39年間の中での判断要素は、自分が直接、見たもの・聞いたもの・感じたものです。
それ以外の情報はあくまでも参考情報として捉え、基本的に判断の際の大きな決定要素としては考えません。
人伝えに聞いたりしたものは、少なくとも「その人の価値基準」というフィルターを通っており、ほとんどバイアスかかっています。
だから、中立な情報が、良くも、悪くもなる。
ただし自分自身が見たり・聞いたりするには限界があります。
そのときに私ははじめて「信じる人」という判断が出てきます。
「この人が言うことなら信じよう」「この人が言うんだから間違いない」ということです。
たとえば、Aさんと、その父親Bさんがいたとします。
非常に中の良い2人は、心からお互いを信んじてます。
ある日、AさんがBさんに「実は○○という会社に入社することになったんだ。1年以上かけて、その会社のことを調べ、その会社の社員・役員とも会い、非常に将来性があり、自分の力を発揮することができると考えたんだ」といいました。
Bさんは「○○は一部上場企業でもないし、以前確か民事再生した会社じゃなかったか・・・大丈夫なのか」と首を傾げました。Bさんがそのように思うのは無理もないはずです。
Bさんは○○の表面的な情報しか持ち合わせてないからです。
しかしBさんは、「Aがそこまで言うなら間違いないだろう。応援してあげよう。」となりました。
その結果Aさんは自分の力を発揮でき、その会社は急成長を遂げ、今ではAさんの活躍もあって、優良会社へと成長しました。
BさんがAさんが決断するに至る情報をこれから収集するのは容易ではありません。
Bさんは、Aさんを信じるということで、納得したのです。
ビジネスの世界では、「信じる」という言葉には2つの解釈があると考えてます。
「信用」と「信頼」です。似たような言葉ですが、私は異なる定義をしてます。
英語でいうところの「believe in」と「believe(trust)」のような・・・
信用は「価値」そのもの。つまり相対的で、人に対して使われる言葉と私は考えてます。
信頼は「計測基準」です。つまり絶対的で、物事に対して使われる言葉と考えてます。
つまりわかりやすく言うと次の4種類の言い方で分類できます。
1.「△△は信用できないんだけど、仕事はできるんだよな」
2.「△△は信用できるんだけど、仕事ができないんだよな」
3.「△△は信用もできるし、仕事もできるんだよな」
4.「△△は信用もできないし、仕事もできないんだよな」
この4種類のうち、情報提供者がどこに入るのか考えれば、間違った判断はしないと思います。
いずれにせよ、最も重要なことは、「良い」・「悪い」ということは人それぞれの価値判断であって
万人に通用するものではないということです。
テレビや雑誌などのメディアなどで、コメンテーターがニュースやトピックに「良い」とか「悪い」とか言ってますが、私はいつも「なぜあまり情報を持ってないのに良いとか悪いとか言えちゃうの???」と不思議に感じてます。僕はそのようなものを基本的に信じてません。
判断に必要な十分な情報を持ち合わせてないし、その背景に何があるかわからないから、良いとか悪いとかは言えないはずです。
本当に信用できる人を探すのには時間がかかりますね。みんなが信用できると言っている人が本当に信用のできる人か否かはわからないですよ。ポイントは「みんなが」という非常に抽象的な言葉です。情報ソースがどこなのか、誰なのかを押さえる必要がありますね。
でもコメンテーターは良いとか悪いとか番組制作上言わなきゃいけないのかもしれないので、ある意味大変な職業だと・・・
なんか纏まりのない文章になってしまった。。。お盆ボケしてるな。
私の39年間の中での判断要素は、自分が直接、見たもの・聞いたもの・感じたものです。
それ以外の情報はあくまでも参考情報として捉え、基本的に判断の際の大きな決定要素としては考えません。
人伝えに聞いたりしたものは、少なくとも「その人の価値基準」というフィルターを通っており、ほとんどバイアスかかっています。
だから、中立な情報が、良くも、悪くもなる。
ただし自分自身が見たり・聞いたりするには限界があります。
そのときに私ははじめて「信じる人」という判断が出てきます。
「この人が言うことなら信じよう」「この人が言うんだから間違いない」ということです。
たとえば、Aさんと、その父親Bさんがいたとします。
非常に中の良い2人は、心からお互いを信んじてます。
ある日、AさんがBさんに「実は○○という会社に入社することになったんだ。1年以上かけて、その会社のことを調べ、その会社の社員・役員とも会い、非常に将来性があり、自分の力を発揮することができると考えたんだ」といいました。
Bさんは「○○は一部上場企業でもないし、以前確か民事再生した会社じゃなかったか・・・大丈夫なのか」と首を傾げました。Bさんがそのように思うのは無理もないはずです。
Bさんは○○の表面的な情報しか持ち合わせてないからです。
しかしBさんは、「Aがそこまで言うなら間違いないだろう。応援してあげよう。」となりました。
その結果Aさんは自分の力を発揮でき、その会社は急成長を遂げ、今ではAさんの活躍もあって、優良会社へと成長しました。
BさんがAさんが決断するに至る情報をこれから収集するのは容易ではありません。
Bさんは、Aさんを信じるということで、納得したのです。
ビジネスの世界では、「信じる」という言葉には2つの解釈があると考えてます。
「信用」と「信頼」です。似たような言葉ですが、私は異なる定義をしてます。
英語でいうところの「believe in」と「believe(trust)」のような・・・
信用は「価値」そのもの。つまり相対的で、人に対して使われる言葉と私は考えてます。
信頼は「計測基準」です。つまり絶対的で、物事に対して使われる言葉と考えてます。
つまりわかりやすく言うと次の4種類の言い方で分類できます。
1.「△△は信用できないんだけど、仕事はできるんだよな」
2.「△△は信用できるんだけど、仕事ができないんだよな」
3.「△△は信用もできるし、仕事もできるんだよな」
4.「△△は信用もできないし、仕事もできないんだよな」
この4種類のうち、情報提供者がどこに入るのか考えれば、間違った判断はしないと思います。
いずれにせよ、最も重要なことは、「良い」・「悪い」ということは人それぞれの価値判断であって
万人に通用するものではないということです。
テレビや雑誌などのメディアなどで、コメンテーターがニュースやトピックに「良い」とか「悪い」とか言ってますが、私はいつも「なぜあまり情報を持ってないのに良いとか悪いとか言えちゃうの???」と不思議に感じてます。僕はそのようなものを基本的に信じてません。
判断に必要な十分な情報を持ち合わせてないし、その背景に何があるかわからないから、良いとか悪いとかは言えないはずです。
本当に信用できる人を探すのには時間がかかりますね。みんなが信用できると言っている人が本当に信用のできる人か否かはわからないですよ。ポイントは「みんなが」という非常に抽象的な言葉です。情報ソースがどこなのか、誰なのかを押さえる必要がありますね。
でもコメンテーターは良いとか悪いとか番組制作上言わなきゃいけないのかもしれないので、ある意味大変な職業だと・・・
なんか纏まりのない文章になってしまった。。。お盆ボケしてるな。