<求められるフェティッシュの世界とは? 2>
写真に求められるフェティシズムの世界は広範だと思う。
少しビジネスの話になる。
インターネットが誕生してビジネスの世界が随分と変わった。
なにもかもNo.1が世界中を闊歩して、その他は消え去るのみ。
ネットにアクセスすると、誰でも、どこからでも、すべての店舗に入店できるのだから、
同じものを買うなら、一番安い店。
一番便利な店。
一番信用できる店で買うに決まってる。
だから、一番以外は市場から相手にされなくなった。
去るのみである。
その一番を確保し維持する条件は資金力。
かくして画一的な巨大市場は巨大資本の独占場となった。
ネットの誕生で市場が一挙にグローバル化して資本力と組織力の世界に移行した。
さらに、資本力は無料で商品やサービスを提供する時代を始めてしまった。
それで、ますます資本力と組織力が有利に動く社会を作り上げた。
しかし同時に資本と組織では対応が不得手な市場もネットに誕生させた。
それが「こだわり」の市場である。
大量生産、大量販売の対極にある手作り商品、真心販売のかつては収支採算が厳しかった
極小規模のビジネス起業がネットの誕生の後にわかに活気付き不思議な成長を見せ始めている。
それはある種のフェティシズム社会の誕生を意味してる。
資本力では太刀打ちできない人間本来の個性とか強烈な個性が人々の心の奥底に響く
ビジネスが百花繚乱する社会の誕生を意味しているのかも知れない。
多種多様なブランドビジネスの拡大成長、もしくはカリスマビジネスの拡大成長だ。
資本力はさらに新たな資金を呼び、巨大資本へと成長する。
同時に、個性はさらに深化する個性へと成長するようにビジネスは2極化をたどるだろう。
それらはビジネスのアート化という現象でもある。
アートとは偉大な個性であり、強烈なメッセージである。
もちろん、その個性やメッセージが社会で共感を呼んだときに開花するのは言うまでもない。
つまり、フェティシズムな社会とはアートな社会だ。
アートな社会にアートなビジネスが誕生する。
アートなビジネスとは、作品であり、メッセージである。
社会への提案として作品にメッセージを込めて創作し発表する。
かつてのような作業場も発売場も必要がない。
PCとネットワークが有機的に人々を結び付けてくれる。
その有機的な結びつきのマネジメントで作品は企画され準備され創作される。
同じく、発売所が企画され、準備され販売が始まる。
商品の輸送も決済などの金融も大資本がネットと有機的に連携したインフラを整備してくれている
時代なのだから事業者もテンポラリーに利用できるしファンとなる顧客に作品やサービスをシーム
レスに提供できるのだ。
このような時代背景、このような社会に求められるフェティシズム写真とは実に広範に多岐に
渡るだろう。様々なテーマがあるだろう。
様々な表現(演出)方法があるだろう。
そして、それぞれに様々なさじ加減があるだろう、刺激が強すぎず弱すぎずという市場フィットの
程度範囲があるだろう。
この微妙な人間味の味感覚がアートビジネスなのだ。
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