震災の被災地でいなくなった町の行く末を案じ現地に診療所を開設されたそうです
会社経営のだんなさんは現地に住民票を移し、車中に泊まりこんでの復興作業。
直子さんは毎週末と隔週の木曜日、都心で経営するクリニックの休診日にあわせて、現地に通い被災者の体と心のケア―を続けてられるそうです
ですがきっかけは旦那さんが大学時代に神戸で阪神大震災にあわれ、自宅アパートは完全につぶれ、たまたま友人宅におられたのでぇ
九死に一生を得て、その後の復興にはほとんど貢献できず、それをずっと悔いていた、だから今回の地震でじっとしていられなかったそうです。
でも直子さんは使命感というより旦那さんに付き添う形で…
その時に入った石巻市民病院は野戦病院のような修羅場、現地で医療ボランティアを申し出たが、個人単位では受け入れて貰えず、 しかたなく救援物資のみ置き避難所へ
其の時に避難所をまとめてられるかたが雄勝~石巻の雄勝町の出身で
雄勝が陸の孤島になっているから医療面でそちらに行って欲しいといわれ
ガソリンの不安を抱え現地に~
そこは物資もなく何を手をつけていいのか分からない状態だったそうです
避難所ですぐに診療を開始、東京の休診日に雄勝に出向いて診療を続けられたそうです
気がつけばそれまで縁もゆかりもなかったこの小さな港町を好きになったそうです
町の方は温かく大変な状況なのに明るさを絶やさない
医師を志された原点
医師と患者さんの本当の意味での心のふれあいがあったそうです
旦那さんは想いは同じで
町民から無償提供されたプレハブ小屋で診療所での診療所を宮城県に申請
信じられない速さで許可が下り、
5月29日 雄勝まごのて診療所が開院
私はただ好きになったこの町の未来を守りたかった、医療機関がなくなった町に
だれが住みますか?医療は再建に絶対に欠かせない存在です
その為には私自身が待ちの医者になる事しかないと決意されたそうです
凄い方だと思います
そして素晴らしい方々だと思いました
何かしたいって気持ちは誰しももっています
でも今何をしないと行けないのかを考えた時に
必要とされる方が必要とされる場所に・・・
本当の心のふれあいがあったからこの地を選ばれて
阪神の震災の想いが突き動かされておられるのだと思いました
町の再建は教育も雇用も大事
そして医療も
立ち向かう気持ちに手を合わせたいです