今日の放送でサハラマラソンに出られたぁ
萬處雅子さんが出られてましたぁ
当時の走ってる姿を映像で流されてたんですがぁ
ほんと・・・砂漠を走られるのがいかに過酷か凄く分かりましたぁ
その当時の事を思い出します~☆って話されてたんですがぁ
映像の過酷さに・・・え~って思ってしまいました
足が砂漠にのめりこんでいく
脱水症状になって倒れこむ映像も
一日ではなく一週間も走りきる
過酷だし精神的に辛かったって言われてました
そのサハラマラソンに二年連続で出られてぇ
初めて走られた時は三位でぇ
翌年が二位だったそうです
萬處雅子さんは生まれた時は未熟児で
そして心臓に穴があく病気でぇ
先天的心室中中隔欠損症・・・
小さい頃からその為に体を動かす事が嫌いになっていたそうです
運動嫌いで食欲旺盛でぇ
そして病は完治していた高校生のとき
157㎝で・・・体重は85kgあったそうです
そして告白した時に相撲取りみたいな体型って言われて
見返してやろうって思って・・・
ジョギングをはじめたそうです
はじめは100m位から一ヵ月後には3km走れるように
そして一年後には
85kg
65kgに![]()
20kのダイエットに成功
それでいきなりフルマラソンに挑戦されたそうです
結果は5時間7分で完走
やっぱり嬉しくて頑張ればぁ自分も出来るんだ
ヨシ
これからは頑張る人生を送ってみようって
そして毎日走ってぇ
翌年再びフルマラソンに挑戦
結果は3時間45分で完走
完走しても疲れたって気がしない
42k走ってもまだいけるかなって
そして自分の限界を知りたいって思ったそうです
そして友人からトライアスロンっていうのがあるらしいよぉって言われて
当時は遠泳3.8k自転車180kマラソン42.195k
早速競技用の自転車を買いに行く
・・・自転車が乗れなかったそうです
でも乗った事がないだけで乗れるかどうかわからないって言われてましたぁ
その時・・一度も自転車に乗った事がなく一度も泳いだ事もなかったそうです
そして練習して・・・
1984年皆生トライアスロンに出場![]()
3kの遠泳を泳ぎきって
そして自転車103kを走破
そしてマラソン42.195kを走りきり
女子の部3位で完走されたそうです
これをきに本格的にトライアスロンを練習
自転車は当時自宅の京都から短大のあった奈良まで往復70kを毎日走って
帰宅後はマラソン休みの日は一日水泳をされてたそうです
その後は88年では三つのトライアスロンで優勝![]()
しかし・・・自転車で走っている時に事故に遭遇
左顔面は複雑骨折、一年間の入院
そんなある日
トライアスロン仲間から手紙が
そのやさいい言葉の中に・・・
世界一過酷なサハラマラソンの事が
事故から一年退院すると直ぐにトレーニングを再開
大会まで一年
世界一の過酷さを味わう為に一年間トレーニングを
1991年4月22日 第6回 サハラマラソン
世界各国から88人が参加女性は12人
これが日本人で初めての参加だったそうです
午前九時スタート
七日間に渡るレースが![]()
全長215km
走る距離はその日ごとにことなり
走行距離や制限時間が
初日25km・・・制限時間10時間
今はコースは明記されてるそうですが
当時は地図にスタート地点とゴール地点だけが書かれていたそうです
そして方位磁石が渡されるだけ
リュックは七日分の食糧などで15kg
気温は62℃まで上がる
初日は女子の部2位でゴール
翌日までは用意されたテントで過ごし
二日目は32km制限時間10時間
3・4日目は70km制限時間35時間
一緒に走ってる仲間が一日目二日目と終わって行くごとに家族のようになっていったそうです
この苦しみをみんなが味わってきた
自分一人じゃないという気持ちで最後まで走ったそうです
そして5日目 予想外の事態が![]()
当時はゴール地点が口頭のみで説明されていたそうです
外国語が苦手だったので
その説明を聞き逃してしまった
どうにか走り続けてゴールした時には気力も体力もつかいはたしていた
6日目42.195km制限時間12時間
コース中盤もっていた食糧は・・・なかった
あるのはわずかな水のみだったそうです
最終日21km制限時間10時間
最後は楽しく走ろうというのでぇこの距離に
記録は215km完走 26時間10分52秒
女子の部3位だった
現在も毎日20km以上走っているそうです
次の目標は・・・世界一周したいって言われてました
諦めないでとにかく前を向いて取り組んで行く事の
大事さを凄く痛感した
放送でしたぁ
諦めない事の大事さを凄く思いました![]()