沖縄 荒崎海岸で太平洋戦争の犠牲者の遺骨が今も集められています・・・その言葉から話は始まりました
一年半前ここで見つかるったもの
ゆりをあしらった校章 ひめゆり学徒隊の校章
あのひめゆり学徒隊はここで最後をむかえた場所
太平洋戦争日本は各地で玉砕 敗走を続ける
1945年4月1日 アメリカが沖縄本島に上陸
この時10代の女学生も戦場へ
ひめゆりというのは併設していた二つの学校 沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校
の愛称だったそうです
お亡くなりになられたひめゆり女学生 123人
生き残られた方も年々減っています
今回 ひめゆり学徒隊の生存者宮城喜久子さんの話を聞けました
あの時は16歳だったそうです
当時ひめゆり学徒隊は病院とは名ばかりの地下壕で負傷兵の看護にあたっておられて
腕が無いとか・・・足が無いとか・・・そういった方が戦場から運ばれてこられて
傷口かたウジがわく ウジがその深い傷を食べる
ウジを取ってあげたり 国の為に頑張れっていわれ必死にがんばった
アメリカ軍は上陸の二ヶ月後には首里を制圧
そしてひめゆり学徒隊は軍といっしょに南部に撤退する
砲弾の中 爆弾がどんどん飛んでくる ただ死に物狂い走ったそうです
そして南部の地下壕にたどりついて
そので耳を疑う命令が下る・・・解散・・・・
1945年6月18日に解散命令
最初は理解出来なかったそれは壕にとどまることを許さない命令
傷ついて動けない友人を置き去りに・・・
その体験がいまだに つらく 心の傷
当時の軍部は本土を守る為にと考えていた
そしてひめゆり学徒隊は最後に荒崎海岸にたどり着いて・・・でも海には敵艦隊逃げ場所はどこにも
友達が・・・おかあさんにもう一度会いたい
海の前で大声で言われたそうです
悔しいね・・・空の下を大手を振って歩いてみたいね
そして血まみれの友人がふるさとの歌を唄う
夜が明けると~アメリカ兵の囲まれる
銃で撃たれていく・・・宮城さんは手榴弾を持たれていて
抜こうとした時に アメリカ兵に取り上げられる
宮城さんは命をつなぎました
しかし共に逃げてきた友人は10人が手榴弾で自決
そういう時は悲しいとかではなく
極限状態で 思考力が無くなる ただ呆然とみている
そして1945年6月23日 沖縄戦は終結
戦没者18万8136人 民間人9万4千人
綾瀬さんが言われてました 信じられない出来事 すいませんうまく言えなくて
ただ悔しいのは戦場に行って大事な人を失って初めて
生きられることが とっても幸せなことだった と初めて気がついた
もし戦争が無ければぁどんな青春だったんだろう
話を聞いてましたぁ・・・何かぼ~と聞いてました
ひめゆり学徒隊の事を知っていました
でも生存の方から話を聞く事はなかったので
沖縄の地上戦の衝撃を体験された方から聞けたと思う気持ちより
沖縄でその当時の事を直接聞く事はないのでぇ
ほんと無念で・・・戦争体験の話は本や映像では少し見たぐらいです
この少ない時間で聞けた事 心に刻みたいです
そして今 民主党がしている沖縄問題
今まで本土がして来た責任を明確にして、口だけの謝罪ではなく
沖縄の人の為になる事を一つでも早く取り組んで欲しいです
心の傷は・・・記憶が有る限り空いたまま
一生消えない・・・
少しでも癒す事を考えて欲しい・・・そして考えたいって思います