《仕事のこと》

ここ数ヶ月、仕事で新しい業務が増えまして・・・

慣れてきたと思ったとたん、ミスを連発してますよ…(>=<)
新しい業務って、何かある度に生きた心地しないですねー

何をもって解決としていいのかとか、誰にどんな手続きをしてもらえば解決するのか、その手続きにどのくらい時間かかるのか、ある程度勝手がわかってくればそんな大変でもなくなるんですけどね〜

年末の休みまであと1週間\(^o^)/





《ウルトラの行方》

ところで、ウルトラマンジードが最終回近いんですけど!!
ジードは、自分的には、ウルトラシリーズの中ではどっちかと言うと評価がイマイチなんですよ。

終わる前に、自分的には何がイマイチだったのか、まとめておこうと思います。誰得ですがw



まず、世界観。

今やってるウルトラマンジードは、過去作ありきの話なんですよね、だからジード独自の世界が展開しきれてないような…?
ゼロとベリアルの因縁が話の中心ですよね、ぶっちゃけ。

昭和のウルトラマンは元々別個の作品だったものを“ウルトラ兄弟”という設定で作品世界を繋いでしまい、それはそれで面白い発展がありました。

平成前半の作品は、それぞれ独立した世界観を持っていて、作品ごとの個性が確立されてた。ウルトラマンのキャラも立ってたんですよね!

そしてウルトラマンマックス以降は、過去作のネタを多用するようになってますね…

マックス、メビウスでやったような、大人のファンへのサービスとして過去作をリスペクトするエピソードだったら歓迎なんですよ。

しかしですね、
ウルトラマンの持ち技とか形態変化とか、敵側の動機に至るまで、過去作に依存するのは作品としてどうかと思ってしまうんですよね、自分はね。

ウルトラマンジードって、どうもモブキャラ感が抜けないんですよ。
ベリアルを巡る一連の大きな流れがあって、「ウルトラマンジード」という番組自体がその中の一部分みたいな位置付けになってしまってる。



それから、倫理的な命題。
つまり、『怪獣の命とどう向き合うか』ですね!

近年の作品はどうもコレを避けているように見えます。答えがないからでしょうか?



ウルトラマンギンガあたりから、なんかピンとこなくなってるんですよね。

怪獣が生き物じゃなくなってる感じがする。
“スパークドールズ”という形態の導入のせいですね。
怪獣を巨大化させたり人形サイズに縮めて眠らせたりできる、という設定。これがギンガ以降ずっと引き継がれてるでしょ。

命ある生き物というより保存の効く乾物みたいになっているんですよ、怪獣が。

怪獣の命と向き合うという命題を避けたことで、単純で分かり易い悪役しか出てこなくなった気がするし。怪獣は、その黒幕の道具でしかない。それも、やられたらカプセルに収容するだけ。
う〜ん、あまり印象に残らないんですねぇ…
怪獣にドラマがないんですよね?


というわけで、、

辛口な批評になりましたが、好きなとこもちゃんとありますよ!(^^)/

レイトさんの、サラリーマンがウルトラマンになる設定は新しくて面白いと思った。
シリアスにもギャグにもできる、非常に美味しい設定ですねw
ちゃんと社会人してて家族を大事にしてる彼のキャラはすごい癒やしですよー







ここから、おそ松さん11話ネタです。
昨日の続き。









《11話〜十四松視点②》

11話を十四松視点に変換しましたー



※本編のシーンに捏造ナレーションを付けただけの雑な再現です…


一松とカラ松が倒され…
次の犠牲者は??というとこから。




長男もな!


イヤミとの友情?シーン


最後のは個人的に入れたかったシーンです(^o^)

真っ先に手を伸ばした十四松は、一番遠い位置のお茶を取ってたんですよぉぉ!
兄さん達に気を使って手前のお茶を譲ったんですか?めちゃくちゃ良い子ではないですか(≧▽≦)


次で完結でーす(^^)/
誰得ですがw