8月の父の三回忌を前に
父方の「墓じまい」に
着手した。
もう、トトとはじめ君しか
明確な子孫はいない。
だから、備忘録として
墓じまいについて
記しておこうと思う。
父方の出身地は
佐賀県鳥栖市。先祖は
大農家だったらしいが
詳細は不明である。
なんたってオヤジは
9歳で祖父を亡くし
高校に入ると祖母が出奔。
ずっと必死で生きてきた。
親戚づきあいも煙たがり
祖先に関して詳細なことは
オヤジも知らないし
トトもさっぱり、
という状況なのだ。
オヤジには生前から
墓じまいについては
再三プッシュしていた。
たが、とうとうオヤジは
無責任なまま旅立った
というワケ。
ややこしいことに
昔はよくあったらしいけど
父方は
菩提寺(浄土真宗)と
墓がある寺(浄土宗)が
別なんだよね。
だから先日、まずは
無沙汰をわびて墓参りをし
寺の住職を訪ねた。
墓じまいをしたいが
誰の骨が納められているか
見当がつかないと相談。
だが、この寺では境内に
墓の土地は提供したが
葬儀を担当しておらず
納骨も立ち会っていない。
管理料も徴収しないので
一切わからない、とのこと。
ひゃ〜!ずっとタダで
お墓を置かせて
もらってたのか!と
この時初めて知った。

これが、森家の墓。

隣にも森家の墓があるが
そちらとのつきあいは
一切ない。
オヤジの話では
親族間のいざこざで
別に墓を建てたらしい。
「でもウチは階段があるし
隣よりちっと高かろうが」
と、ドヤ顔で言っていた。
こども心に
「ワケがわからん」と
思ったけど。
ちなみに隣の墓もあまり
参られてはいない感じだ。

何より、石が摩耗して
墓誌の文字が読めず
誰が入っているのか
わからない😭😭😭
隣の森家の子孫?が
暮らしているのでは?
という寺近くのエリアを
炎天下30分ほど歩いたが
とうとうわからず。
仕方ないので
過去帳や台帳があるのを
期待して菩提寺に向かう。
来訪目的を伝え、住職に
連絡をいただけないかと
名刺を置いていった。
その足で市役所を訪ね
改装届の書類をもらい
墓じまいの手順を聴く。
夕方、菩提寺の住職から
電話があった。
台帳(葬儀をした)を
調べると、4人の名前。
先祖までさかのぼる記載は
まったくないらしい。
この寺には、オヤジの
叔父(トトの大叔父)の
納骨堂があり、オヤジが
管理料を払っていた。
納骨堂の記録を
見てもらったが、葬儀を
担当した台帳と
名前が一致しないらしい。
ん〜???
なんか、ややこしく
なりそうだなぁ……。
とりあえずは
墓誌に刻まれた法名を
明らかにしてみよう。
さっそくモノタロウで
トレーシングペーパーと
拓本用の墨と養生テープを
ポチッたよ。
すると菩提寺の住職から
再度電話があり
「納骨堂の奥から位牌の
木札が見つかりました!」
同時進行で友人に
石屋さん(石材店)を
紹介してもらい
墓を見に行ってもらった。
・向かって右の墓は
昭和7(1932)年の建立
・左の墓(わが家)は
その直後に建立。
・もともと右の墓に
階段はなかった。
・だから階段ごと土台まで
整理して大丈夫。
とのこと。
当初は
「階段がないと隣の墓の
人が困るだろうから
墓石と墓誌、花立てだけ
整理するか……」
と思っていた。
でも、土台を残すと寺にも
迷惑がかかる。
そこで、この機会に
土台ごとすべて整理する
方向で見積もりを依頼した。
************
あらためて菩提寺を訪ね
木札を受け取ってきた。
オヤジは良彦、祖父は良三。
今回初めて
曽祖父・七太郎
高祖父・與八の名前を
知りました〜。
八とか七とか三とか
縁かつぎの名前ぞろい😆
そして、超インドアの
はじめ君に協力してもらい
頑張って、墓誌の拓本を
とりました。
水をかけると
少しは読めるけど不十分。
やっぱり拓本とって
持ち帰るのが賢明だな。
正式な墓じまいは
9月以降の予定なので
簡単な家系図を作りましょ。
ちなみに、市役所で
「可能な限り、戸籍を
さかのぼってください」
と、依頼済み。こちらは
数ヶ月かかりそうだ。
わが家の
ファミリーヒストリーが
始動しました。
炎天下で頑張ってくれた
はじめ君には……

大好物のハンバーグを
ごちそうしました。
◆モダンねーさんの一言

寺や神社好き、歴史好きの
トトにとって
今回の墓じまいは
趣味と実益を兼ねとるねぇ。
何でも楽しみながら
経験値を増やすのが
トトのスタイルやしねぇ。
◆トト飯

サワラのクリームソース
(埋没しとるけど😆)
ニラ玉、鶏肝煮、玉子焼、
青唐辛子味噌、海老フライ
ぬか漬(長芋&キュウリ)
鯨と豆腐のハリハリ汁

手羽元のスパイス焼
酢モツ、ぬか漬、サラダ
明日葉のごま和え、
コーンポタージュ







































