和歌山に帰ってきた。
10日間以上東京にいましたが、
毎日飲んだくれてしまいました。
まあしょうがないな。
みんなも休みだったからね…。
なんか夜のニュースをなんとなく見てたのですが、
古館さんが夏休みの旅行を仕事と思わせるために、
スイスでやってた温暖化問題レポートが面白かったです。
(クルージングにつられて国際会議に出てお盆なのに仕事面のぼくも同じか…)
温暖化が進んでいることが、
スイスの氷河の減り方でよく分かる。
って内容でした。
それ自体はそうなのかとも思うし、
まえからなんとなく騒がれてたと思うので、
別にいいのですが、
古館さんが興奮してんだかなんだかしらんけど、
やたらに、
「加速度的に…」
ってのを連呼するんです。
「加速度的に氷河が減っている!!」
「加速度的に温暖化が進んでいる!!」
あー、うるせぇ。
しかも、
なんか日本語として違和感があったんですよね。
で、
よくよく考えてみたのですが、
加速度:速度の時間に対する変化率
ですよね。
では、
加速度的に温暖化が進むとはどういうことなのか?
まず速度とは何かを先に考える必要があります。
今回の場合は、
温暖化の進み具合をスイスの氷河の全体積の減り方に射影することで、
氷河が減るということを一般化座標として、
その速度を観測しているということになります。
つまりその座標の変化率(=速度)が、
時間に対して線形の関係にはない(=加速度を持つ)状態に見えることを、
(見える = 的 と考えても良いでしょう)
「温暖化が加速度的に進む」
と考えることができることに考え至りました。
つまり、
レポートの内容を見る限りでは、
「古館さんの日本語は正しかった!」
という結論が導かれます。
さすが言葉を扱うプロ!
ただうるさいだけではなかったね!!
と思ったのですが、
この論理で行くと、
世の中のありとあらゆる変化の中で、
加速度的でないものがあるのでしょうか?
まあ近似的に見ればだいたいOKてことはあるかも知んないけど、
時間に対して線形に変化する現象は社会にはほとんど無いのでは?
しかも仮に線形に変化したとしても、
加速度的(でもその加速度は零)な変化ということもできます。
最終的には、
古館さんの夏休みの自由研究は、
日本語としては正しいことを言っているが、
その意味としてはあいまいで、
的確なレポートにはなっていない。
という評価になりました。
っていう大論文を、
東京最後の夜に妻の前で展開しましたが、
完全に無視されました。
また寂しい和歌山生活の始まりです…。
10日間以上東京にいましたが、
毎日飲んだくれてしまいました。
まあしょうがないな。
みんなも休みだったからね…。
なんか夜のニュースをなんとなく見てたのですが、
古館さんが夏休みの旅行を仕事と思わせるために、
スイスでやってた温暖化問題レポートが面白かったです。
(クルージングにつられて国際会議に出てお盆なのに仕事面のぼくも同じか…)
温暖化が進んでいることが、
スイスの氷河の減り方でよく分かる。
って内容でした。
それ自体はそうなのかとも思うし、
まえからなんとなく騒がれてたと思うので、
別にいいのですが、
古館さんが興奮してんだかなんだかしらんけど、
やたらに、
「加速度的に…」
ってのを連呼するんです。
「加速度的に氷河が減っている!!」
「加速度的に温暖化が進んでいる!!」
あー、うるせぇ。
しかも、
なんか日本語として違和感があったんですよね。
で、
よくよく考えてみたのですが、
加速度:速度の時間に対する変化率
ですよね。
では、
加速度的に温暖化が進むとはどういうことなのか?
まず速度とは何かを先に考える必要があります。
今回の場合は、
温暖化の進み具合をスイスの氷河の全体積の減り方に射影することで、
氷河が減るということを一般化座標として、
その速度を観測しているということになります。
つまりその座標の変化率(=速度)が、
時間に対して線形の関係にはない(=加速度を持つ)状態に見えることを、
(見える = 的 と考えても良いでしょう)
「温暖化が加速度的に進む」
と考えることができることに考え至りました。
つまり、
レポートの内容を見る限りでは、
「古館さんの日本語は正しかった!」
という結論が導かれます。
さすが言葉を扱うプロ!
ただうるさいだけではなかったね!!
と思ったのですが、
この論理で行くと、
世の中のありとあらゆる変化の中で、
加速度的でないものがあるのでしょうか?
まあ近似的に見ればだいたいOKてことはあるかも知んないけど、
時間に対して線形に変化する現象は社会にはほとんど無いのでは?
しかも仮に線形に変化したとしても、
加速度的(でもその加速度は零)な変化ということもできます。
最終的には、
古館さんの夏休みの自由研究は、
日本語としては正しいことを言っているが、
その意味としてはあいまいで、
的確なレポートにはなっていない。
という評価になりました。
っていう大論文を、
東京最後の夜に妻の前で展開しましたが、
完全に無視されました。
また寂しい和歌山生活の始まりです…。