Richard Barnes Mods! 6
Scooter
1959年になるが早いかスクーターに乗った kids が現れ、60年には"Scooter Boys"として知られる、いわば little gangたちが登場した。彼らもすごく服装を意識していた。のちのスクーター MOD ルックの先駆者だ。
彼らは軍払い下げのカーキ色の 全天候型パーカを着ていた。ジャケットの上から着られるところがよかった。かっこつけるためというよりむしろ、実用性から流行りだしたわけだったけど、後になってファッショナブルなアイテムになった。
だいたいこの頃リーバイスが流行りだした。42シリング6ペンスぐらいだったと思う。 前ボタンで、はきはじめはボール紙みたいに硬い。それを、はいたまんま風呂に入って馴染ませる。で、ゴシゴシこすってはき古したかんじにする。色が褪せていればいるほどカッコよかった。
Americanize
50年代の終りから 60 年代はじめに起った生活の変化は、Lionel Batの"Fings Ain't What They Used To Be" (「昔とは真情が違う」)という曲にうまく要約されている。 町の乾物屋はスーパーマーケットに取って代わった。薄っぺらなコーヒーバーや Wimpy(ハンバーガーショップ)が現れた。クリーニング屋や市営の洗濯場に代わって 24時間営業のコインランドリーができた。アメリカナイズ現象である。 Modernist たちは、こういった総ての"便利な”革新に賛成だった。それでもまだイングランドはあまりにも古くて保守的だ、と彼らは思っていた。広告とセールストークの世代なのだ。広告業界も、テレビCMが入ってきてからアメリカナイズされていた。Modermist たちは、 Eタイプのジャガーを乗り回し、ブロンド美人を腕にぶら下げるなんてことをマジで望んでいたのだった。
Wimpy(ハンバーガーショップ)
Europe
彼らはフッションのヒントをヨーロッパからも得ていた。夏になるとフランスの学生や旅行者がやってきたけど、みんな自分たちよりずっといいモノを着ていた。で、London のフレンチクラブに遊びに行ったりもした。特にポピュラーだったのが、フランス学生の 好みに合せたLa PoubelleとLe Kilt だった。East London の Willie Deasey は、この2つのクラブの常連だった。「フレンチガイの着てる服はカッティングがすごくよかった。 僕たちといえば、かっこいいカジュアルウェアなんて着てなかったもの。 hipster トラウザーズと、先の丸いきれいな靴をはいてたな、彼ら。それから、軽い布地でできた上質の スーツ。この素材はダンスの時最高なんだ。僕たち、ファッションのアイディアをことごとく彼らからもらってたっけ」。 「彼らはフランスのありとあらゆることに気触れていた。「みんな、でっきるだけたくさん の映画を観に行くのを競ってたよ」と、Willine の友人の Johnny Moke は回想する。「まあ、そのひでえ言葉はほとんど理解できなかったけど。翌日はみんなに言いふらすんだ。 『おい、すげえフランス映画観たぜ。全くイカしてるんだ』ってな具合にね。ある時"YoYo" って映画を観に行ってさ。1時間ばがり座ってたんだけど、ついにガールフレンドにこう言ったんだ。『彼、しやべらないね』って。あとで彼女は、その主役 Marcel Marceau は決してしやべらない、つまりマイムなんだって説明してくれた。僕、よくわかんなくてね。 つまり、その、フランスもんだってことだけで観に行っちゃったもんだから」。
Hommage à Pierre Étaix #1 - Yoyo (1965)
https://www.youtube.com/watch?v=cbpahZcKLZs
WileとJohnny の別の友人はもっと甚だしかった。「僕たち煙草吸わなかったけど、 それっぽく見えるようにゴロワーズに火ィつけたりしてたっけ。みんながフランス映画や雑誌の世界に浸ってたけど、Les の場合は狂気だったね。ストライプのジャンパー着て、 ベレーかぶって、ガーリックかじって・・・もう何から何までこの調子さ。そのうちフランス語まで習いだしちゃって。ある時 Aldgate のウィンピーにLe Soir を手にして座ってる彼がいた。僕たちが中に入ってそばに行ってみると、本当に読んでたのは真ん中のページに隠してた Sunday Pictorial だったんだ。つまり、ポーズだったってわけ。彼に関しては、例のベレーとストライプのジャンパーっていでたちでフランスパンを小脇にかかえて歩いてるのを見たこともあったっけ」。
当然のことながら、Modernists にはヨーロッパ大陸のヒーローもいた。Sean Connery の James Bond は別として、イギリスにはスターっていうのがあんまりいなかったし、それでMarcello Mastroianni や Juliette Greco あたりのファンだった。
look
MOD LOOK はすでに出現していたけど、総ての動きを総括するような共通のアイデンティティをもった情況というものは、まだなかった。これはおそらくMODS の行動範囲が、 クラブやコーヒーバーや友だち同士の家を行き来する程度だったからだろう。プレスはまだ、彼らを「発見」してはいなかった。 そう、MODS はまだ、ごく局地的だった。それぞれの地域に独自のファッションリーダー がいて、その人物がそのあたりの kids に影響を与えていた。Kids は、ダンスホールやクラブでそういう人物やその友人を見て、その服装をコピーしていたのだった。そのリー ダー自身は、West End のダンスホールやコーヒーバーに出かけて行ってほかの "Face"たちに会い、誰がどんな服を着てるかってことに注目していた。こんなふうに、 表面化した服装や生活に対しての MODS の一般的な姿勢の中にも、それぞれの地域色があったのだった。











