息子の同級生・サッカーファミリーの中の一人のお母さん・・
私より 一つ年下で、年よりかなり若く見える。
いつも元気で、常に低姿勢・役員なんかも 一生懸命で とても細かい気配りで人や子供達の世話を してくれる人だ。

彼女の一家も 家族でサッカーサッカーの試合を よく見に来て
なりふり構わず みんなで熱く応援したものだった。
この震災で 彼女は、旦那さんを 亡くした。
サッカーファミリーでは、彼女の旦那さんだけが 津波にやられてしまった・・
旦那さんは、市役所職員でやはり 最後の最後まで 持ち場を 離れられなかったのだろう・・
その時は、避難する人達を、道路で誘導していたみたいだ。

3月25日 夕方5時・・
震災後 ずーっと火葬場は停電しているため、夕方になり薄暗い中にローソク2本のわずかな明かりで 最後のお別れとなった。
正面に置かれた 小さな祭壇には、写真も何もない・・
でも これが 今、津波で亡くなった人の当たり前・・全然 珍しくない光景なのだ。
津波・・・
本当に、なにもかもを 持って行き もみくちゃにし・・亡くなった人の遺影に使う写真すらも流してしまって何にもないのだ。

火葬が 終わる頃には、もぅ 真っ暗だった。
終わって 出て来て収骨室にストレッチャ-で 遺骨は、運ばれて行き・・
そこから、発電気からの電気で コウコウひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球と 照らされて みんなで 骨を拾った。
真っ暗で 誰が来ているのかも 余りよくわからない・・ 骨を 拾うために 近ずいた時しか 誰がいるのかなんて見えない・・

そんな中で 妻は、サッカーなかまの親・子・・に
「本当に〃骨まで拾っていただいてありがとうございました・・」と 泣いた。

本来なら 子供のスポーツの応援仲間より 身内が一杯のはずなのに・・
身内も 欠けてしまった人が 多いらしく・・
決して大勢とは、言えない中に 子供ら10数名 その親10数名のサッカーファミリーもいた。

息子の同級生・サッカー仲間の火葬の時も考えた。
そして 今日も又 考えた。
これが自分だったら・・

私だったら こんなふうにみんなにお礼の言葉を いえるだろうか・・と

おじぃさんが 手づくりした 骨箱に 旦那さんは、 納められ 家族5人・・帰って行った。

旦那さんの火葬の次の日は、 仮設住宅の申込だのなんだのって 走り回り・・ その次の日は、 この間高田一中で みんなでお別れした 息子のサッカー仲間の火葬に花巻まで 一緒に行った・・

悲しみを かみしめるヒマもなく・・
避難所暮らしのため、今後の事を 考えたり、亡き旦那さんの事を、静かに思い出す空間もない・・

この人は、いったい どこで 涙を 流してるんだろう・・と思った。

きっと 忙しさで 気持ちを、 紛らわしてるんだろうなぁーと・・
だって 花巻に行く車中でも チョット 笑える話なんかになれば いつも通り、大笑い。
でも・・会話が、急に 震災の話になったりするとるといきなり 声が 詰まったり 返答がなくなったり・・
えっ!?と 思うと・それは、彼女が 涙している時だった。

ある程度気持ちが 落ち着いて・・
たまに 思い出しては、泣いてしまう・・のでは なく、
いつも 泣いてしまいそう・・絶えず 泣いているのを いろんな事で 掻き消して 自分で自分を 騙して、泣かないようにしてるんだなぁーと 思った

今、私が この人に何かしてあげられるとしたら・・力に なってあげられる事があるとしたら・・

結局 今だに 用があるのを 兼ねて・わが家に来た時に 震災の話を 聞いたり話したり・とか
お風呂に 入りにおいで・・と 言ったり
息子の会合に 一緒に乗せていってあげたり・・

そんな ちっぽけな 心の足しにも ならない様な事しかしてあげられないのである。

悲しい時 いかなり 声を あげて泣く事も できない。
一人に なることも 出来ない。
ボーッッと 果てしなくいろいろな想いを めぐらせてただ 座り続けてもいられない・・

それが、避難所暮らし・・
あっという間に 4月が 終わろうとしています・・

ここ数日・長T一枚でも 過ごせる様になり・動きやすくて軽快(^o^)
それも そうですよね・・
GW突入ですもの・・

震災で 亡くなった方達も49日が過ぎ あれから49日かぁー・・
ため息DASH!です。

前回のブログ・・
今まで 自分が 吐き出したくても 吐き出せず 思いきって 記しては、みたものの・・
もしかしたら 自分の一言で・強引だとしても・一人の命を 助けられたかもしれなかったのに・・
後悔の気持ちがが消えません。

逆に・・私は、一生 その男性の事は、忘れちゃいけない!とも思いました。

忘れそうに なったら思い出さなきゃいけないし、これからの人生・・
きっと さまざまな 困難に遭遇していくにあたり・・投げやりになったり
へこんだりした時は・・
必ず 思い出そう・・と、思います。
一日〃を、大事に生きて 長生きして・・
いい人生だったなぁーと 必ず思える様に・・
前を 向いて行こうと思います。
その人の分まで ちゃんと・・ね。

私よりも もっともっと壮絶な状況で 助けて!と言って 手を 伸ばしてるのに助けてやれなかった・・
とか ギリギリまで 全くの他人のお年寄りを 背負って走ったけど 自分も もぅ限界で 「おばあちゃん ごめん・・」といって下ろして 階段を 駆け上がったという人の話も 聞きました。
サラッと聞けば、え長音記号1長音記号1っ置いて自分だけ 逃げたの?」と 思うかも知れません・・
でも 私は、ごめん・・と言った 人の気持ち・・
わかる様なきがします。
だって・・
それ程 あの時 あの瞬間は、 緊迫してたし すべてが 壮絶だったんだもの。足を 水に浸けながら
首まで 浸りながら・・
泥水を 飲みながら 頭まで何度も 浸かりながら・・も 助かった人達は、私なんか比べものにならないほど 緊迫していたんです。

そういう状況で 助かった人たちも 1か月以上過ぎた今・・ 人を 助けられなかった事を 悔やんでる人は、いっぱいいるんだろうなぁーと 思います。

きっと その人達も 亡くなった人の分まで・・
ちゃんと生きよう
前を 向いて行こうと思ってると思います。

沢山の人の この思いが 束になって 強い気持ちで一生懸命 復興していけるんだろうなぁー と 思いました。
頑張ろう!!我が街 陸前高田!だっ
きのうは、雷雨雨だったり 晴れたり晴れ・・
天候のせいか、体調が非常に悪く 寝込んでいましたガーン

怖いくらい 雨が降り・・
普段なら何でもない事なのに、土砂崩れが おきなきゃいいなぁー
どこまで、天災を重ねるつもりなのかなぁー・・と
悪い方にばかり 考えてしまいますしょぼん

でも 今日は、晴れ
春日和です。 当たり前ですよね もぅ少しでGWですもの・・
3月11日から この4月後半に 飛んでしまってる気分です・・


前回の ブログ記事に戻りますが・・(間が あいてしまってスイマセンあせる

未だ・私に 生きるチャンスをくれた男性は、遺体がみつかっていません・・
海に 行ってしまったのかなぁー・・
以前のブログで、書かせて貰った 私ら夫婦にとってとても大事な先輩も・・
結局 遺体は、みつかっていません。


2年程前のある日、店の建物の裏手に出没した 段ボールから、か細い ミュ~ミュ~という 複数の鳴き声がしてきた朝がありました。
蓋を 開けてみると 目が 真ん丸・クリンクリンに開いた トロケテしまいそうな可愛いにゃー子猫が 6匹・・
ペットボトルの湯たんぽまで入れられて 捨てられていました・・

その頃 何故か 店裏に一匹、 年老いた 栄養失調?とも思われる ガリガリの猫が 一匹いて(私たちは、勝手に 『 梅』と 名付けた)可愛そうで 見捨てられなかったんでしょうね・・
その男性を 始めとして その食べ物やさんの 従業員さん達が 店裏に 簡単な寒さしのぎが 出来る様な所を作り 餌を 与え、みんなで お金を 出し合って病院に診せたりして世話をしていました。

最初の6匹は、うちの従業員で 四苦八苦して飼ってくれる人を 探し、みんな貰われて 行きました。

ホッDASH!としたのもつかの間・2週間後には、又 2匹・・
箱の中からミユ~ミュ~音符
今度は、まだ産まれ立てホヤホヤ~といった感じでした。たまたま その朝は、私は、もの凄く忙しく、思わず騒ぎを 遠目から見ていたその人に 箱ごと持って行き どうにか預かって貰えないかあせるあせると・・
半ば その時も強引に その人に押し付け、仕事に 戻りました。
あては、最初の6匹であたり尽くしてしまって 全くありませんでした。

でも その人は、どうするんだ!?とも 言わず
スイマセンガーンあせると、時折ミルクを 差し入れる私達に ただ笑って子猫を、見せてくれたりしてました。
自分の家に 夜は、連れて帰り 昼は、店裏に連れてきて・・休憩時間にミルクを 与え・・
とても大切に世話をしてくれていました。
そのうちに ガリガリ『梅』が 母性を 発揮し 体温であっためて 多分死んでしまうだろうと・・みんな思っていたチビたちが みるみるうちに可愛い子猫にゃーになりました。
私の同級生に 地元紙の新聞社に勤める者がいて そこにお願いして 無責任な飼い主のした事・・その命を こういう想いでつないでる!という事を 呼び掛けて貰ったら 新聞記事が出た朝から 問い合わせが殺到して ものの1時間で引き取り手が 決まりました・・

それまで その子猫の世話を してきた その男性は、「本当に よかったっスよ・・」って ボソッ・・と私に言いましたが・・
なんか とても寂しそうな表情を していました。

飼えないけど・本当は、手放したくないんだなぁー

あまり 感情を 口にしないからわかんなかったけど・・ 優しい人なんだなぁーと・・ 思いました。

その にゃー子猫事件の時から 言葉は、交わさないけど 何だか 前よりは、その男性の内面が 少しわかって 気軽に 声をかけたりできる様になったのですニコニコ

反応は、相変わらず・・でしたけどね・・

そういう、いきさつがあって 勝手ながら 私の中では、挨拶程度の間柄でも、ためらいもなく 我・丸出しで 震災の日も 声をかけたのです・・

日々、挨拶程度・・とは、言えど 何で その時、私は、 みんなが避難した事がわかった後、『車に乗って!!!!!!』って その人を乗せて 避難しなかったんだろぅ・・
今更 そんな事を 考えても、もぅ 遅い・・
取り返しが つかないんだけど・・
何で自分自身 焦ってそこからUターンしたくせに その人だって 危ないから!!って 思えなかったんだろう・・(:_;)

悔やんでも 悔やんでも・・どうすることもできない・・
悔やむことしか できないのです・・

震災の3日目位から・・
この事が頭に 時折チラリ〃と浮かんで 離れないのです・・
あの時 私が 車に乗せていれば・・
乗って!!と言っても 多分その人は、乗らなかっただろうな・・と 思う。
それでも 無理矢理乗せてれば 助かったのに・・