長女が小さかった時に出会いたかった本。もう一冊。
- 愛情の次にたいせつな子育てのルール―ドイツ流・子どもの心がわかる本/アネッテ カスト・ツァーン
- ¥1,680
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といっても、これはたしか、長女が魔の2歳にさしかかって大変な時期に、こまりはてたあげくに
たどりつた本なので、厳密にはちょうどいい時期に出会ったことになります。
だけど、長女の時には「マニュアル本」としかとらえていませんでした。
問題行動を起こす子供に、ルールを教える方法。
単純にその部分だけを(無意識ながらも)ピックアップし、ためす。
すると、長女も私の望むような方向へ変わっていったので、それを理由に「これはすごい本だ!」と
思ってしまった。
すると、なぜ長女はその行動を起こすのか、長女が出しているメッセージはなんなのか、という
大変重要な部分をないがしろにして、自分の都合のよいように子供たちをしつけるために、
この本に書かれている方法を多用する、という、いま考えると最悪とも言える状況に陥っていました。
しつけ、というのは現代社会で子育てをするお母さんたちにとって、最重要とも思えることです。
ちょっとした子供のいたずらや、好奇心で起こした行動を、分かってあげられない、笑って見過ごせない、
黙って横目で見てはあとになって、「あそこの家の子供はしつけがなっていない」なんてことをよそで公表することを楽しみにしているとしか思えない大人が、街中をうろうろしているからです。
もちろん、そういう大人たちの目にさらされているお母さんたちには、子供をしつけるということは
重要で、どうしたら子供たちを行儀よくさせておけるかに悩みます。
その答えは、この本に書かれています。ぜひ読んで欲しい。
でも、このルールを試してみる前に、ちょっと待って欲しいんです。
現代では子供たちの行動は大変制限され、公園や地域の遊び場でも「お行儀よく遊ぶこと」を強制されています。
親たちも、「何か言われたら困る」、「仲間外れにされはしないか」ということが気にかかり、
ともすれば「子供がなにをしたかったのか」を理解する前に、「そんなことはしちゃいけない!」と止めに入るほうが優先せれてしまうのです。
なにより子供にとって重要な「自主的な遊び」は、じつは親の目、親の手が制限をかけ、
何が起こるのか、何がしたいのかを理解される前に止めさせられていることが多い。
これは、現代の子育ての一番の問題点ではないかと思っています。
とか語っているわたしも、長女の時はまさしくそんな母親の一人で、なにより
「外から見られる娘の姿」をとても気にかけている母親でした。
そんな私がこの本に出会い、この本に書かれているルールで長女に注意をすれば、問題行動がおさまるという経験を重ねるうちに、いつしか「子供の心」を無視した教育にハマっていたのでした。
何がしたかったのか、自分が起こした行動によって何が起きるのか。
それによって自分はどんな気持ちがし、周りの様子はどう変わるのか。
それをゆっくりと感じる時間を与えることなく、「大人の都合」のみで「自主的な遊び」を中断させていくことは、
じつは子供の心を無視した、親として決してやってはイケナイ大変な過ちでした。
今、長女は4年生になりますが、
彼女が「考えること」を拒否し、「考えること」を長く続ける根気がなく、
「考えること」をしているときにふっと、アタマの回路が途切れる瞬間を感じるたびに、
これは、私がそうなるように育ててきてしまった結果なのだ・・・と、猛烈に反省させられます。
幼いころから、何か夢中でしていることを、「危ない」「汚れる」「散らかる」「他の子に迷惑」「よそのお母さんに何か言われそう・・・」その他様々な理由で、私自身が中断させてきた、その結果でしかありません。
たしかに、この本に書かれたルールは、子供の問題行動に効きます。
けれども、あくまでも「愛情の次にたいせつな」なのです。
この本で最重要なのは、第5章の「子供にルールを教える方法」ではないのだと思います。
その前までに書かれている、
子供は(赤ちゃんは)どんなふうに世の中のルールを学んでいるのか、などなどの、
子供の心理をより親に分かりやすく教えてくれるところです。
これが、とても面白い。
そうか、子供はそんなことを考えているのか。
赤ちゃんでも、ちゃんと分かっているもんなんだなあ、なんてことや、
子供が周りの大人から日々刻々と学んでいるのだという
なんというか、アタマの回路を発達させていく様子がありありと分かるというか・・・
やはり、子供は「教わる」のではなく、「学びとっていく」存在なのだなあ、ということを
ひどく納得させられる良書だと、思うわけです。
この本のおかげで、2歳児がなぜあんなにわがままで扱いにくいのか、
そのわがままが、「母親を困らせ、苦しめるためにしていること」ではないことが分かり、
ホッとしました。
この母親の心理は、幼児虐待にもつながりかねない危険な考え方の第一歩ですが、
どんなお母さんでも一度は心をよぎったことがあるのではないかな、と思います。
いま、かつての私のように初めての子供に振り回されて、苦しんでいるお母さんがいたら、ぜひ読んでほしい。
そして、子供への愛情を取り戻してほしい。
取り戻したら、子供の目線に立って一緒に子供が感じている感動や発見を味わってほしい。
大人の都合はぜんぶ忘れてしまってもかまわないぐらい、子供の人生にとって
一番大切な時間ですし、それを共有することが出来ることは、親にとっては何よりのしあわせです。
そして、そのように子供に接していると、「頭ごなしに叱らなくてはならない緊急事態」というのは
そうそうないことも、感じられます。
ちょっとした我がままのおさめかたも書いてあります。
生活の中で子供を動かしていくちょっとしたヒントが満載で、それは叱り飛ばしたり怒鳴ったりするよりも
子供の心を守る、という点でずっと有効だと思います。
「タイムアウト」という方法は、子供の心を静めるばかりでなく、親の心を静める方法でもあるのです。
子供の何を叱ればいいのかが判明すれば、じつは日常の中で「叱らなければいけない」出来事は
あまりないものだと気付かされます。
親子を取り囲む周りの大人たちの目は、気にしている場合ではない。
重要なのは、自分の子供を無意味で無神経で、子供の心をないがしろにしている世間から
守って、育てることだったんだと、今になって痛感しています。
ちなみに、2歳児の扱いかたを心得たあとの、二女、三女の子育ては、
ひどかったなあ・・・という記憶がじつはぜんぜんないほど楽でした。
三女はいまだに「魔の2歳児」から抜け出したかどうかの瀬戸際ですが・・・
今思い返しても「楽しかったなあ、2、3歳ぐらいのころが一番かわいかったなあ」という思い出しか
ない、というのは、自分でもびっくりです。
おそらく、時間に制限を設けることを極力避けて、
ちょっとしたやりたいことをやりたいようにやらせてきた、
たとえば登園前の時間になってから外遊びを始めて、洋服をどろんこにしてくる、という事態になっても、怒らずに園に「遅れますコール」をするとか、とにかくさんざん遊びながら保育園へ向かうけれどいちいちその都度待ってあげる、とか。
うちの登園風景を見た友人に「よくそんな、まってられるね~~
」と、驚かれたほどです。
3~4歳になる前から、「時間に遅れずに登園する」ことは、よくよく考えれば大変無意味なしつけです。
集団生活の中で規律を守ることは、年長さんや就学してからでも十分に間に合う。
むしろ、自分の好奇心を充分に満たした、満足した子供のほうが、集団生活にも意外にすんなり
溶け込める気がします。
一歩集団生活から離れたあとは、お母さんが好きなこと、やりたいことを充分やらせてくれることを
教えておきさえすれば、子供は安心して「我慢」が出来るようになる。
事実、二女は年長さんですが、三女のために登園時間が遅れてしまうことを、ひそかに気にしているようです。朝の支度も、二女が三女の服を選んで出して、着替えさせ、朝ごはんも用意して食べさせてくれていることが、たまにですがあって、そういう日は決まって「お誕生会」だったり「早くにお散歩へ出かける」などで、二女自身が早く保育園へ行くたい!という気持ちでいる日です。
そんな二女も、かつてはなかなか朝、着替えようとせずに困っていた時期もあったことを思い出しました。
たった一度だけ、いつまでも着替えないなら置いて出掛ける、と宣言し、事実、二女だけを家に置いて
買い物へ出かけた記憶があります。
たった一度きりでしたが、以来朝の支度に手を煩わせたことがありません。
もちろん、こうした「しつけ」を決行する背景には、数多くの「やりたいようにやらせてあげる」時間がたくさんあったことが前提になります。
就学すれば、長女のように私が仕事でいなくても自分でしたくし、ご飯を食べて時間に合わせて家を出なければならなくなりますが、二女は今のところ、心配することがないなあ、と安心していられるくらい、大きく成長してくれたなあと実感しています。
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