ミクロから見る
マクロから見る
(森を見て木を見ず
木を見て森を見ないも同意義
よく病気や身体のことにも使われる。
その疾患だけでなく肉体・精神・心・霊魂全体をみるホリスティック(=全体)医学)
とか言うが
ミクロもマクロもどちらからも
見る必要があるんだろうな
その病気をしたのは
どんな気づきをもたらすためだった?
なぜそれをしようと思った?
これが起こったのは何を知らせたかった?
奥にはいろいろあって
簡単に言ってしまうときっと
因果応報(現在も過去世も含む)
カルマになるんだけど
それがあったから
食生活変えてみようとか
自分を大切にしようとか
多様性を受け入れようとか
命は大切、
生きることに真摯でいようとか
ここからどうするか?
ということが大事
現実が辛すぎると
その地点から見た未来は
何も見えなくなる時も
見たくない時もあるけれど
可能性や別の視点からの未来を感じることで
人間は原動力のきっかけにもなる
人生の過程やプロセスはみんなそれぞれ違う
どんな過去があり
どんな感情・思考パターン
どんなことを選び
何を食べてきたか
どんな土壌や環境があって
生きてきたか
同じ疾患だから
これを飲めばよいみたいな
簡単さはない
この手段や方法の一つが
自分にはあっていても
別の人には合わないこともある
人それぞれだからその人にあった方法
自分がよいと感じるものであればいい
どんな方法やプロセスや手段や道を選んでも
自分が自分であり目的地に行けばよい
大まかな行きたい方向、ありたい方向が
あれば少しでもいきやすい
動けない時は
自分が本来の自分から離れているとき
今までと違う方法
リラックスしたり
ゆるんだり感情を癒したり
断捨離、手放し
そうすることが必要な時期
成長するためのサナギの時期
季節で育たない時期は
種をまき、学びの時期
早いも遅いもなくて
周りと比較もなく
ベストなタイミングがある
失敗はない
生きてきた経験はすべて糧になりうる
私たちは小宇宙であるという表現を
ボディケアのスクールもレイキの時も
そんなことを聞いたっけ?
自転車に乗りながら
ふと記憶の断片を思い出した
ミクロ・マクロの見方、
小宇宙というキーワードだけがきたんだけど
だいぶズレて話が飛躍しすぎた
私個人的な好きな話〜
だいぶ前だけど
たまたまブラタモリで沖縄の斎場御嶽(せーふぁーうたき)や久高島だった回を観た
久高島や沖縄は太陽信仰で
暗いトンネルを通り太陽が見える
アマミキヨが降りたち琉球をつくったと
言われる
久高島はニライカナイ(常世)に近い場所と
言われている
琉球は独自の文化を歩み
小さなころからうずうずした
沖縄に行きたいな
熊野の那智の滝も早く会いたいな
神社ミーハー的には
玉置神社と天河大辯財天社にも
行ってみたいな
