6:30~7:00に起床し、1人でトイレへ。
7:15~8:00までゆっくり朝ごはんを食べ、
8:00~8:30に、歯磨き・着替え・髪のセットをし、
8:30すぎに、まーめーどさんへ向かう。
17:00にお迎えに行ってもらい、
帰ってくるとご飯のお手伝いで卵を割ったり
畑に水をやったり、散歩へ行ったりする。
17:30~18:30に夕飯を食べ、
18:30~19:30までゆっくりして、
19:30~19:45にお風呂に湯を張り、バナナ牛乳の準備
19:45~20:30にお風呂に入る
お風呂から出て、バナナ牛乳をのみ、髪を乾かして、トイレにいって、
21:00~21:30に就寝。 

毎日、こんな生活を送っています。
こうしてみると、息子と向き合い、
話をする時間はそれほどないのかもしれない。
日に日に大きくなって、出来ることが増えていく。
1日あったことの話を聞き、
変化にどのぐらい気がつき、誉めれているかなと、
振り替える。

1ヶ月前は、私やおじいちゃんの手を借りて作っていたレールも、
1人で繋げるようになりました。
すごいねっと誉めるととっても喜んでくれた。
こうやって、日々出来ることが増える息子と向き合い、
話をしたり、誉めていきたいと思った。


私は、本当に幸せなことに、
私を、私のやけども、全部受け止めてくれる人がいた。
初めて体を見せたとき、
やけどをみて引かれると泣いてしまった私に、
私の手を取り自分の目に被せ見えなくした上で、
体にそっと顔を寄せて、やけどにキスしてくれた。
どれだけ嬉しかったか。どれだけ安心したか。
計り知れない。

その人と結婚し、幸せなことに子供を身ごもった。
しかし、リスクは高かった。
何せ、身体中にやけどがある。
妊娠するとき、一番伸びなくてはならないお腹に、
とても分厚いやけどがある。
万が一、やけどが伸びなかったら、
裂けて大量出血が起きし、最悪の場合、母体が死ぬ。

だから、不安だらけだった。
普通の皮膚でも、妊娠線ができるぐらい、
頑張って伸びるのに、
私の皮膚は伸びないときているのだから。
でも、人間の体ってすごいね。
お腹が伸びないけど、背中の皮膚が伸びた。
主人も心配して、ボディクリームを買って、塗ってくれた。
私も毎日塗った。
皮膚が少しでも伸びてくれることを願って。
そして、なんとか、一人目の時は、
赤ちゃんが成長できる大きさまで耐えてくれた。
ただ、それにともない、
伸びないやけどはひたすら引っ張られ、
お腹が大きくなるにつれて、常に激痛が走った。
痛くて寝れない日があるのは当たり前だった。
看護師さんにも、
どちらかと言うと小さいお腹やけど、
この皮膚からすると相当引っ張られてると心配された。

二人目を産むときも同じ。
今も、激痛と戦いながら、
背中の皮膚が伸び、硬いやけどが耐えてくれることを願ってる。


私は、
医学では証明できないといわれるぐらい、
奇跡的に命が助かり、 
素敵な人に出会い、身ごもり、
どんな形であれ、第1子を産むことができたし、
二人目も妊娠でき、なんとか順調に育っている。

だから、
やけどや身体に何らかの他人と違う部分を持っていても、
素敵な人と巡り会い、出産もできると思う。
もちろん、頑張ったり耐えたりしないといけないとはあると思う。
でも、明るい未来はきっと誰にでもあると思う。
毎日の日課の一つに、
息子が仏さまにご飯を上げに行くというのかある。 
しつけたわけではなく、率先して行ってくれる。
今日も、いつものように上げに行ってくれた。
すると、突然泣き出した。
慌てて駆け寄ると、
息子のおでこが切れ血がにじみ、大きなたんこぶができていた。
どうやら、こけてぶつけたらしい。
それをみた母が泣きながら謝った。
そして、最後に
「智子のときもこうやった。
 何度も行ってくれていたから、
 大丈夫と思い、ついていかなかった。」
きっと、あのときの後悔が蘇ったのだろう。


「智子のとき」や「あのとき」とは、
4歳のころに、全身に大火傷を負った時のこと。
やけどの原因は、昔のお風呂に落ちたこと。
入園式を終え、お姉さん気分になった私は、
陽気に姉の代わりにお風呂のお湯を止めに行った。
昔の、熱湯が上に、真水が下にくるタイプの湯沸し器のお風呂。
その中に、なぜか落ちてしまった。
小柄なせいか、ポチャンと音がしただけ。
父が不穏に思い、すぐ見に来ると、
なぜか服がびしょ濡れな私が浴槽の横に立っていたという。
私は自力でお風呂からでてたのだ。
きっと父からみれば、
なぜ私がびしょ濡れなのかわからなかっただろう。
とりあえず、脱がそうと服を服をめくった瞬間、
服に皮膚がくっつき、めくれてきたという。
ホラーだったに違いない。
それでも、父は冷静に、
服を戻し、押さえながらシャワーで水をかけ続けた。
母が呼んだ救急車に、父にしっかり抱かれながら乗ったのを今でも覚えている。
ぎゅっと押さえ続けてくれた手の位置の皮膚は、
そのままくっつき今も形が残っている。
きっと、不安と助かってほしいという願いが込められているのだと思った。
私が運ばれた風呂場から玄関までの廊下には、
運ぶ際に、めくれた皮膚がばらばらと落ちていたらしい。

私がやけどをおったとき、母は、臨月。妹がお腹に入っていてた。
だから、あまり刺激しないようにと、私の様態は伝えられなかったそう。

搬送され手術したあと医者から、
全身に30%のやけどを負った子供は助からないと言われていた。 
確かに、子供は30%、大人でも50%全身にやけどを負うと死ぬと言われている。
55%を越えていて、
皮膚が壊死するといわれる深度3の部分も多数あった私は、
死んで当然だった。
手術をするにもできなかったらしく、
首から上と手足首から先以外は、
滅菌ガーゼを当て、感染を避けなくてはならなかったそう。
ガーゼの上から全身タオルでくるむため、
病院からの指示で30枚新品のタオルがいると言われ、
祖父母は新品のバスタオルを全部切って作ってくれた。

搬送されて1日目の夜のこと。
意識がな区寝ているにも関わらず、
あまりの痛さにベットから30㎝ほど飛び上がっていたらしい。
医者に残念ですがと言われが、
生死をさまよい、奇跡的に3日後、息を吹き返した。
奇跡としか言えない、医学では証明できない、
生きる力が強かったしかないと、医者に言われた。

母が私と面会したのは、
だいぶ経ってからのことらしい。
ショックを受け流産してはいけないと言われ、
瀕死なことすら告げられていなかった。
だから、
全身ミイラのように包帯ぐるぐる巻きになった私をみたときは、
本当に驚き、嘆いたらしい。

それからというもの、
激痛の治療と片手では終えないほど殖皮術をした。
初めての手術は事故から10日後。
豚の皮を張る植皮術。
そして、5/20に再度、足らなかった部分に自分の皮膚を張る植皮術。
皮膚が足らず、髪の毛もそって、頭からも皮膚をとらなくてはならなかった。
ようやく、なんとか皮膚がつき始めた。
痒くて痛くて無意識にベットの上を転げ回っていたと聞いた。
毎日のガーゼ交換は、悲鳴に近い状態なぐらい、
痛み苦しんだ。
それから片手では終えないぐらい手術をして、
今普通に生活できるまでになった。
今もやけどでお世話になった病院にかかることが多く、
有り難いことに年配の看護士さんの中には、
私を覚えてくれている方も少なくない。

それでも、
いくら手術してもやけどが完全に消えることはない。
自分でも、醜いと思ったやけど。
両親もきっと「この子は結婚できないだろう」と思ったにちがいない。

実際、
幼少期からいじめや言葉の暴力はあった。
でも、幸い、私は恵まれたことに、
たくさんの友達が守り、支えてくれ、
私自身も口が達者だったため言い返し、
たしいして、泣いたり悩んだりした記憶はない(笑)


―――続く―――


ようやく、臨月。
今回の妊娠は、本当に不安がいっぱいだった。
一人目も、初めてだから不安はあったけど、
今回は、
切羽流産や羊水過少症などになりかけ、
死産も覚悟してくださいと言われたので、
本当に不安だった。

でも、ようやく臨月。
昨日の検診でも、
赤ちゃんも元気に成長してるし、
羊水も平均まで戻ってきたから良かったねと、
言ってもらった。
頑張って大きくなってくれて、ありがとう。



そして、ずっと支え続けてくれている、
旦那さんや両親、息子や親戚の叔母、そして、友達に感謝です。


生むのは怖い。
でも、お腹にずっといれておくことはできないし、
お腹の中で元気に動き大きく鳴ってきているので、
そろそろ狭いだろうなと思う(笑)
頑張って生まなくては!!


要約筆記のサークルに入っている母が、
菰野でこんなイベントがあり、
自分もスタッフとしていくから良かったらと、
教えてもらった!

菰野庁舎の横にある、
健康保険センターけやきで行われた 
福祉と健康のフェスティバルけやきフェスタ2018。
色んな福祉施設や地域団体が出店していて、 
活動紹介や飲食ブースの出店をしていた。

息子は、
手伝ってもらいながら自分で綿菓子を作ったり

大好きなミニSLにのったり

巨大なプラレールに自分のパーシーを走らせて遊んで大興奮( ´∀` )b


行きは、電車とバスに乗り継ぎ向かい、

帰りは、ばーばの車で一緒に帰宅。
とっても刺激的で、楽しかったようで、
帰宅しても、明日もいっていい??と何度も聞いてくれました。
電車もバスもとてもおとなしく乗ってくれたし、
抱っこや、おんぶと甘えず、頑張って歩いてくれた。
ホントに優しいお利口さんやったけど、
それでも、妊娠している体で行くのは安易なことではなかった。
よく張るし、痛くなるしね。
それでも、こんなに喜んでくれるから、
頑張って連れていって良かったぁと思えた(* ´ ▽ ` *)