初めて出会う我が子。

お腹の中で10か月間一緒にいたけど、

やっぱり、出てきてくれて会えるのは全然違う。

・・・でも、声かけって難しいね。

なんて声をかけたらいいんだろう? 

恥ずかしさもある。ぱっと言葉が出たらいいのに。

なかなかそうはいかない。

 

・・・

 

朝起きて、いつもと何か違う違和感をお腹に感じる。

今日は39週と5日目。

予定日まであと2日なので、いつ出てきてもおかしくわない。

私は里帰り出産で、地元に戻ってきている。

 

朝10時。

飼い猫の砂がないのでホームセンターに行きたくなる。

父にお腹が変なこと、猫の砂がないことを伝える。

すると、

今日は母が仕事でいなく、自分は出産のことはわからないので、

念のため病院に行くように言われる。

うーん、悩み、とりあえず家でお昼を食べる。

 

昼14時。

やっぱり変だ。

病院へ行こうときめ、用意してあった入院セットをもって車に乗り込む。

見てもらうと、子宮口は2㎝開いていた。

でも、

「初産だし、まだまだおりてはこないよ」といわれる。

 

夕方16時。

痛い。こ、これが陣痛?と感じる。

母と旦那が到着し、陣痛室に入ってきてくれた。

背中やお腹をさすってくれるけど、どうにも痛い。

でも母に

「まだまだでてきませんわ。今晩またぐかな・・・」

といわれ、痛すぎて心が折れそうになる。

 

夜19時。

ようやく子宮口7㎝。今晩が山だと言われる。

え、こんな激痛にあと5時間も耐えるの?となり、

痛みで意識が遠のく。

旦那がお水を飲ませてくれる。

あまりに私が痛がるので、

旦那:「ひーひーふーだぞ、ほら、一緒に!」

母:「ひーひーふー」

旦那「できてる、上手じゃなかい!!!」

私:(え、母だよ?)

母「あ、私です・・・」

旦那「え!!!!!!」

というコントがあり、違う意味でお腹が痛くなる。

 

夜20時。

もう、力みたい。痛すぎる。

「りきみたいぃぃぃぃ」と叫ぶと、助産師さんにまだだめといわれる。

まだか、まだかと、時計を見る。

別にお産時間が決まっていて出てきてくれるわけではない。

でも、たった1分がとても長く感じ、秒針が止まってないのか疑った。

 

夜21時。

ようやく先に私が分娩室へ。

旦那は服を着替えている。

21:05 隣の部屋から赤ちゃんの泣き声がした。

旦那:(え!?生まれた・・・の?)

となるが私ではない。(笑)

 

21:14

手が真っ赤になってしまうほど強くにぎってしまったけど、

ようやく出産した。

 

 

・・・

 

 

正直、

こんなにも痛いのかと、

世の母親はすごいなと、

つくづく感心した日でした。

 

やけどもしっかり伸び、何の問題もなく、お産できたこと、本当に良かった。

心からホッとした。

 

 

 

 

私はとても短気で、飽き性。
「三日坊主」という言葉がぴったりなぐらいだから、
自分でも笑える。
しかも…書くことが一番苦手(笑)
でも、書き残すことが大切だから、
頑張って書きます(笑)
今日は、大切な日やしね。

さてと、何から書こうか悩むけど、
まずは、なんでこんなにも地域を大切に思いたいと思ったか、
から書くことにするー。
きっと、すべての出発点だから。


今から約14年前。
コンピューター問題で騒がれた2000年。
私は、父の転勤でイタリアにいた。
人生初の海外は、楽しさなんて微塵もなかった。
英語も、現地語のイタリア語も全く話せない。
友達だって、一人も知らない。
そんな中に突然ポイッとされ、
正直、向き合う気になれなかった。
そのせいか、
第一印象が「物静か」と言われるくらいやった。
今の私からは想像できないだろうけど(笑)

毎日パソコンの前に座って、
日本の友達にメールをした。
耐えられないと、電話もした。
そんなに日本!地元!三重の友達!
と思っていた私に、
イタリア語の先生やったかがこんな事を言ってきた。
「ねえ、智子。知ってる?
ミラノは、レオナルド・ダ・ヴィンチが育った町よ。
有名な最後の晩餐の絵もあるの。
イタリアは、世界遺産が世界一の歴史ある国よ。」と。
そして、続けて、
「智子の育った町や県はどんなところなの?」と聞かれた。
私は、正直、何にも答えられなかった。
英語やイタリア語が話せなかったからではない。
何にも知らなかった、地元のこと。
話せるだけの情報や知識を持ってなかった。
あんなに日本、地元っていってたのに、
自分が情けなくなった。
あのときの衝撃っていったら、
10階建てのビルから突き落とされたみたいやった。

それから、初めて、
日本文化の繊細さ、奥深さを知った。
灯台もと暗しだった私にとって、いい勉強になった。
海外にでたからこそ母国のよさを知れた。

それから、そこで暮らすことが楽しくなった。
そして、決めたの。
帰国して、高校にはいったら、地域を知れることがしたいと思った。

そして、もう一個、
したいと思ったことがあった。
それは、なにかを自分の手で発信したいということ。
これは、学校でしていた放送委員がきっかけやった。
マイクを通して何かを伝える。
何かを言うか、どんな内容にするか、
そんなことを考えていて、いいな、と漠然と思った。
前に立って話すことなんて本当は苦手なのに、
気がついたら生徒会長になって、
英語とイタリア語と日本語で挨拶とかして、
どんどん発信するってことに興味が湧いた。
ホントに、些細なきっかけだけど、
大きな一歩立ったに違いない。

中学生という、
多感な時期をイタリアで過ごしたおかげで、
私はたくさん経験させてもらって
学んだ。

今でも大切にしてる言葉がある。
「人間の脳は、いつまででも吸収できる。
特に若い頃は、スポンジ見たいにどんどん入る。
でも、吸収しなくなったら止まるんだよ。」
もともとアホな私は学び続けなくては!!と焦った。
これ以上、あたしの頭が腐っちゃったらまずいと思ったから(笑)




この時、点でしかなかったものが、
何十年、まさか、すべてがつながって立体になっているなんて、
想像もしてなかったと、今思う。






めっちゃ踏ん張りの時のとき、
どえらいキレていてもどうにか抑えて対応するとき、
逃げだしたいほど嫌な状態のとき、

いろんな頑張り時にいつも見るのが、ひまわり。

太陽に向き、黄色く色付いた花びらを元気いっぱい広げる姿。

それともう一つ、とある人からもたっら言葉。
「厳しいことかもしれないけど、たとえ怖くても、進まないとね。」


どんなときでも、
明るい光の指す未来を目指し進むためには、
ひまわりのように、光と明るさを保ち、
前を向いて進まないといけないと思う。



前進あるのみ、やね。

25歳はお肌の曲がり角というけど、
それは本当なのかも…
人生最大級に24、25はニキビができる(ノ_・,)
大人ニキビはなかなか治らない…
しゅん凹

ということで、


大人のニキビはなおりにくいもの。
大人になると難しいことも、
こらえなきゃいけないことも、
いっぱいあるよね。。

よし!
飲んで頑張るのら♪



Android携帯からの投稿

今日で、20代前半という時期が終わる。
24歳という歳は、「挑戦」だった。
そして、切っても切れない単語は「エシカル」。

23歳の5月にエシカルに興味をもち、7月に旗を立てた。
24歳は、23歳の自分が登った階段を上がるため、企画書を書き、
ありがたいことに事業を受託した。
そして、24歳最後の今日は、来年に向けた企画書を書き上げ、郵送した。

目の前の人生という階段を、一段飛ばしで登ったつもりが、実は、3段も飛ばしてた・・・
というそれぐらい、自分的にはブッ飛ぶ速さで階段を駆け上がった感じがしました。



わがままで思いを曲げない。
そんな私はきっと大変なリーダーだけど、
支えてくれる、共に挑んでくる、そんなメンバーができました。
よくついてきれくれたなぁ、、、と本当に感謝しています。
明け方4時までかかってみんなで作ったフォーマット、忘れません(笑)
サイトがなかなか立ちあげられず、どえらい叱ったことも、忘れません(笑)
でも、どんな時でも、みんながみんなを気遣い、コミュニケーションを大事にしました。
自分が精一杯の時に、誰が、他人のことを気遣い、共に考えてくれるだろう、、、
行き詰った、しんどい、立て込んで仕事か終わらない…
そんなとき、チームの合言葉のような「さっ、コーヒー飲もか!」という掛け声。
それを聞くたび、あったかくて、よく食べて笑う、うるさいファミリーみたいなチームだと感じました。
素敵なチームに恵まれて、本当に幸せだなぁ、と日々感じています。
みんなよりも社会人経験もはるかに少ない私。
自分の段取りや確認がうまくできず、きっと迷惑をかけてしまうことも多いね。
あんまりうまく伝えられず、大回りしながら伝えるから、話が長くてごめんね。
気分の時もあるから、当たってることもあると思うの、ごめんね。
本当に未熟なリーダーです。でも、一緒に歩んでくれて、ありがとう。
そして、自由に仕事をさせていただける、この環境に何より感謝です。
自分で考えた企画で、指揮を取れる嬉しさ、
「やっべっ…どうしよう」と思ったときに相談に行ける場所があること、
なによりその環境が幸せだと思います。



この1年で動きは、自分の中では本当に学んだことはたくさんあります。
もっと、もっと、動き続けることが必要で、今はまだ、学び、前進するときだと思うの。

 



 

25歳は、きっと「結婚」という大きな一段がある。
うん、もっと、頑張ろう。