出雲は風が強かった
生きていると思いがけないことってたくさんあると思うけど、なんだか7月ってそんな1ヶ月間でした。鈍く鈍くなっていって。それも生きていくための必要事項ではあると思うんですけど、生きていくことが時間の消耗戦みたいになっていってそれはそれで心がすり減っていく感覚でした。いつも口にはしているけど時間は平等なのに。です。感情に大きさも小ささもないと思っていて、どう感じるかってその人の自由。良かれと持ったアドバイスが心をつきささりすぎてしまう。頭ではわかってるんです。〝楽にしてくれようとしてくれているんだ〟と。だけどそこまできちゃうとどうも心が追いつかない。何をして…何に癒されるのか、楽になるのかわからなくなってくる。そういうときって『選択することも拒否』していることが多くて。逃げ出すことというより、新しい世界を見る準備期間なんですよね。わたしとして生きる、わたしの人生なのになんも選択せず生きていく。それってなんだか不思議な感じで『ああ、それはしんどいわ』って思ったんです。『〜したほうがいい。』って言われすぎて、(もちろん好意的に受け取っています)なんとなくそれが言い方は違うんですけどわたしの選択を違う人がしているような気持ちになって。主導権はわたしだよ。ってようやく思えて。こうなったときに体が悲鳴をあげたのもきっかけでした。これは方向転換したい。今わたししんどいんだなって。ここまでならないと気づけませんでした。体調もなんとか戻して。〝わたし〟を取り戻しに行く。そんな気持ちでした。友達と合流して学生時代からの友達と話している時の私の声は自分でもびっくりするほど楽しそうでした。特に特別な話もしていなければ、面白い話もしていないのに。そんな自分に久しぶりに出会いました。〝この時間が今私に必要な栄養素なんだ〟って癒されるとはこういうことなんだって(大袈裟で笑った)一日案内してもらって、2日目はあえて戻るのを最終バスにして、もう一度出雲大社に行って割子そばを食べて島根ワイナリーまで歩いてワインソフトクリームを食べてとにかく暑かったですが、とにかく気持ちが晴れてようやくひさしぶりに〝わたし〟を取り戻せた感じがして。ここ3年以上どこか私が私でないようなかんじがしていて、それでも誤魔化し誤魔化しやってきたんですけど、いつのまにかそれが垢みたいになっていって自分じゃない自分で生きていたように思います。漠然とくるしかったというか自分で自分を縛っていたんだと思います。そういうわたしは全部家に置いて何も考えずにありのままの私で会いに行ってきました。初めて行った場所っていうのもあるけど、のびのび、ちゃんと呼吸ができていた。またがんばろう。ゆっくりでいいじゃないか。わたしはわたしとまた思えたし、すぐ立ち止まってしまう自分をちゃんと大切にしようと思った。おみくじのことばにまで元気もらった笑また会いに行くね。年内に友達も広島にまた来てくれるらしいのでたのしみ^^