めんどくさい人。



それは、私の母。



青森で一人暮らしの

ばぁちゃんは

腰や足や

あちこちが

痛い痛い言いながら

大好きな畑に行っては野菜を育てて

せっせと送ってくれる。



若い時はなんでもできた。

骨身を惜しまず働いた人。

年取ったー

できなくなったーと

嘆きながら

未だに諦めずに畑に行くんだから

本当に気の強いしっかりした人だと

思ってる。



しかし

その、気の強さでもって

時々人に牙を向けてきたことも

多々あって。



自分の正義で人を刺す、みたいな。



ちく、

ちく、

ちく、

なんでいまそれを言う…?と思うようなこと言って

刺してくる。



先日、久しぶりにそれがあって。



あー

前はいつもこんな感じだったし

言われるたびに

「そういうことじゃない」と

反論したいけど

常に平行線になるのが

虚しくて

結局何にも言わない方を選択してきたよな…



この頃はうまくやれてる、と思ってたけど。



あの時も

あの時も…

なんていくつも思い出されて



私は

本当〜〜に気分が悪くなった。




親の余計な一言って、ホント

萎える。



萎え萎えの萎え子ですよ。



もう半世紀も前から知ってる。





しかし、ちくちく母にも事情があって。



人とのつきあい。

うまくいかないと。

うまくやれないと。



私は離れてるから聞くことしかできないし

母もなぁ〜という目で見るから

相手の気持ちもわかる。



自分に刺さった棘が痛くて

こっちに刺しにきたんだろうか。



私には私の、言い分で

母のことが

腹立たしく

頭にきて

気分が悪くなったんだけど。



それでいつもは

旦那とかにぐちって終わるんだけど。





ふと



私にできることって

なんだろうって

思った。



できることがあるなら

なんでもするよ?



そしたら



「どんなに母が悪くても味方でいよう」



って

浮かんだ。





人は間違う。

すれ違う。

お互いを思う気持ちとはうらはらに

いろんなことがおこってしまう。

いくつになっても

うまくいかないことはあるんだ。



「謝ったら?」

「母も悪いよ」



そんな言葉しか思い浮かばなくて

どう言おうか

伝えるべきか

自分の恨みも絡んで

うまく言える気がしない

そんな逡巡を

つらぬくように。



どんなあなたでも

全てが敵だとしても

私は味方だよ。」



欲しかったのは、それだ。



それだった。



それが欲しかったのは、私だった。

私が母に言って欲しかった言葉。



だけどそれを母に言おうなんて

これまで

爪の先ほども思っていなかった。



私は私の正しさで

母を裁いていた。



母とおんなじ。



文句を言いながらおんなじことしてた。





萎え萎えの萎え子は

その言葉が浮かんだ瞬間

いなくなり



私はそれを実際には母に

伝えてもいないし

私が言われたわけでもないのに



その言葉は広がり



すぐ目の前の,

旦那の、息子の、娘の、

そしてなにより自分の

味方でいようと

思った。



言葉の力とは本当にすごい。

言葉は私の想いを変え行動をも変え

きっと

優しさとなって伝わって行くのでしょう。