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4月中旬の休日、朝は会社に少し出てその後向かったのが西武拝島線の小川駅。駅から徒歩5分くらいで到着したのは九州ラーメンいし

昭和48年創業の老舗久留米ラーメンのお店。出店の経緯は巻末に記載(西日本新聞記事)

 

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看板らしき看板は無くうっかり通り過ぎてしまった。よく見ると壁に大きく書かれていました。

 

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到着が開店時間でしたが既にオープンしており入店すると先客1名。常連さんらしくカウンターの端で店主さんと話しながらビールを飲んでいました。

店内は年季が入った味のある店内で昭和なので何となく馴染みますね。

 

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石橋店主さんは76歳かな。白髪で精悍な顔立ちですが接客は笑顔でやさしいです。口頭で「ラーメンお願いします」とコール。お冷やは出していただきました。壁面にはメニューが貼ってあり「ラーメン」「チャーシューメン」とサイドメニュー。

寺島進さんの写真が数枚貼ってありました。なんか関係あるのでしょう。

 

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卓調は胡椒、擦り胡麻、塩、七味唐辛子、辣油。各調味料は汚れが目立ちますが店主さん見ているとなんか許せちゃうのが不思議。男やもめの一人暮らしって感じがするんです。

 

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厨房の中の麺箱を見ると㈱成田屋製麵(相模原市)と㈱あさひや(東村山市)の2つの麺箱が見えます。

 

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3分くらいでカウンター越しに店主さんから着丼です。

 

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銀色の受け皿に乗った雷紋模様の反高台丼。トッピングはチャーシュー、茹で卵、紅生姜、ネギ。

 

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レンゲを差し入れてスープからいただきます。

ずずずぅぅぅううう~ヽ(*´∀`)ノ キャッホーイ!!まいぅ~~ラブラブドキドキ音譜

白濁していますがどことなく清湯ぽい趣のスープで野趣感はあまりなく臭みもほとんどない感じですが、一口いただくと豚骨の旨味がしっかりしていてウンマイ♪

丁寧な下処理と炊きがアッサリしているけれど深い旨味を形成し、液状油のフルボディな感じがマッチして独特だが好みの味。化調もバッチリ。カエシは塩のような醤油で塩味はシッカリしている。

久留米ラーメンのイメージは、ド乳化のコッテリしたイメージだが、久留米ラーメンも色々あるようで、詳しくは豚骨博士に聞いてください。

 

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麺は中細のほぼストレート麺。エッジが効いたやや平打ちっぽい麺で茹で加減はジャスト。博多の低加水の極細麺とは異なりネチッとした粘りのある麺でスープとよく合いますね。こういう麺もいいもんですね。

 

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チャーシューはしっかりしたチャーシューが2枚。ペラではありません。腕肉のようですが確り煮こまれて柔らかく筋も無いのがナイス。中々美味しいチャーシューです。

 

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途中ですりごまを投入しサクッと完食。茹で卵はスライスでした。

紅生姜は味変で使いたいので最初は無しがいいかな。

 

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居心地の良いお店なので、再訪する機会があったら、餃子と高菜油いためで🍺飲んで締めで一杯が理想かな。ここはビールも進みそう。

ご馳走様でした。ヾ(@^▽^@)ノ 

 

=2016/10/06付 西日本新聞朝刊=

東京都小平市に、福岡県久留米市発祥のタイヤメーカー、ブリヂストン(BS)の東京工場がある。1960年、久留米工場に次ぐ同社2番目のタイヤ工場として操業を開始し、日本のモータリゼーションを支えてきた。訪れてみると、その発展の陰には久留米の人、そしてラーメンの存在があった。

 西武鉄道の小川駅で降り、5分ほど歩くと豚骨のにおいが漂ってきた。店はその名も「九州ラーメン いし」。久留米市出身の店主、石橋和明さん(68)は「久留米から来た人たちがラーメンを食べたがってるって聞いてね。それで脱サラしたんよ」と開業のきっかけを話す。

 BSによると東京工場の稼働に合わせ、約800人の従業員が久留米工場から移ってきた。それから10年ほどがたった頃、大学を卒業した石橋さんは久留米市から上京。食品メーカーに就職してすぐ、BS生協で働いていた高校の後輩から相談された。「従業員が豚骨ラーメンを食べたがっている。店をしませんか」

 石橋さんの妻、栄子さん(故人)の実家は久留米市の老舗ラーメン店。石橋さんが学生時代の4年間、その店でバイトをしていたというのが声をかけられた理由だった。「商売にも興味があったから」と東京工場のすぐ近くで店を開いた。73年のことだ。

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 においに誘われるままラーメンを注文した。見た目はワイルドだが意外にあっさり。それでいて豚骨のうま味もしっかり感じられる。「久留米の作り方そのままだからね」 懐かしい故郷の味は、上京してきた人たちの胃袋をつかんだ。「最低でも1日300杯。創業直後から売れた」。客の8割がBS従業員。店内では筑後弁が飛び交った。ほどなくして商業施設「ブリヂストンマーケット」に場所を移した。そこでも「夜はどんちゃん騒ぎ。他店から苦情も来てましたよ」と懐かしむ。

 一方、豚骨のにおいに関東の人は面食らったようだ。「最初はくさすぎて一口も食べられなかった」。隣でラーメンをすすっていたBS従業員の男性(64)は笑った。男性は千葉県出身。久留米からきた先輩に連れられ、出合った一杯は衝撃的だった。とりこになり、40年以上通い続けている。

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 自動車タイヤの生産は別工場に移り、小平地区は研究開発拠点にシフトしつつある。いしも、10年前のブリヂストンマーケット閉店を機に、工場から少し離れた場所に移転した。「来てくれるお客さんがいるからね。東京五輪までは続けますよ」。時代も街も移ろう。しかし、石橋さんは変わらぬ一杯を今日も作る。 (小川祥平)