母親がどんな人物だったのか。
今回は、覚えている事実を中心に書こうと思います。
母親は、とても感情的な人でした。
気に入らないことがあれば、相手が家族かどうかに関係なく、当たり散らす性格でした。
僕に対する身体的・精神的な暴力は、特別なことではありませんでした。
幼少期から、何か悪いことをすると頭を叩かれたり、怒鳴られたりすることは日常的でした。
中学生の頃には、ハサミを突きつけられたことや、首を絞められたこともあります。
謝ることを強制されることもよくありました。
けれど、謝っても許されることはなく、
「もう遅い」「心からそう思っていない」
「お前には思いやりがない」
と、延々と責め続けられました。
母親は生活保護を受けており、
お金に余裕がある時は機嫌が良く、
また、生活環境や衛生面も、かなり荒れていました。
子どもとしての尊厳が守られていたとは思えません。
母親はほとんどお風呂に入らず、
お風呂場は物置のような状態でした。
僕がお風呂に入ろうとすると、
「水道代やガス代がかかるから入るな」
「入るなら物はちゃんと元通りにしておけ」
と怒鳴られました。
洗濯物もほとんどされませんでした。
それなのに母親のこだわりは強く、
僕がやろうとすると怒鳴られました。
何日も同じ服を着て過ごすことも珍しくありませんでした。
こうして書き出してみると、
まだまだ思い出せることはあります。
正直、書ききれません。
当時の自分は、
これが異常なことだとも、
虐待やネグレクトだともあまり思っていませんでした。
ただ、「こういう家庭なんだ」と、
受け入れるしかなかったのだと思います。
今回は、覚えている事実を中心に書こうと思います。
母親は、とても感情的な人でした。
気に入らないことがあれば、相手が家族かどうかに関係なく、当たり散らす性格でした。
僕に対する身体的・精神的な暴力は、特別なことではありませんでした。
幼少期から、何か悪いことをすると頭を叩かれたり、怒鳴られたりすることは日常的でした。
中学生の頃には、ハサミを突きつけられたことや、首を絞められたこともあります。
謝ることを強制されることもよくありました。
けれど、謝っても許されることはなく、
「もう遅い」「心からそう思っていない」
「お前には思いやりがない」
と、延々と責め続けられました。
母親は生活保護を受けており、
経済的に余裕のある状況ではありませんでしたが、
重度のギャンブル中毒で頻繁にパチンコ屋に通っていました。お金に余裕がある時は機嫌が良く、
そうでない時は、機嫌が悪く、八つ当たりされたり、一日中家で寝ていることも多かったです。
また、生活環境や衛生面も、かなり荒れていました。
子どもとしての尊厳が守られていたとは思えません。
母親はほとんどお風呂に入らず、
お風呂場は物置のような状態でした。
僕がお風呂に入ろうとすると、
「水道代やガス代がかかるから入るな」
「入るなら物はちゃんと元通りにしておけ」
と怒鳴られました。
洗濯物もほとんどされませんでした。
それなのに母親のこだわりは強く、
僕がやろうとすると怒鳴られました。
何日も同じ服を着て過ごすことも珍しくありませんでした。
そのため、学校に行けば周りから、
「臭い」「毎日同じ服を着ている」と言われたりしました。
思春期の頃の自分にとって、それが一番辛かった時期だったと思います。
こうして書き出してみると、
まだまだ思い出せることはあります。
正直、書ききれません。
当時の自分は、
これが異常なことだとも、
虐待やネグレクトだともあまり思っていませんでした。
ただ、「こういう家庭なんだ」と、
受け入れるしかなかったのだと思います。
ーー
今回はここまでにします。
それでは(*'ω')ノ