前回の記事にてお話ししたとおり、

劣悪な環境の中で育った僕でしたが、

唯一心の支えにしていたものがあります。

それは、ゲームでした。

当時の僕にとって、ゲームは現実から逃げ込める数少ない居場所でした。

また、大切なことを学ぶ場所でもありました。


母親からまともな倫理観や価値観を教わった記憶は、正直ほとんどありません。

病院で「ご自由にどうぞ」と書かれたカレンダーを大量に持ち帰ろうとして、受付の人に注意されると、


「ご自由にって書いてあるやろが💢💢」

「こんな病院もう二度と来んわ💢💢💢」


と怒鳴り散らすような人でした。


大事なことの多くは、母親からではなく、ゲームの中から学んだように思います。

友情や愛情、努力、生きる意味。

そういった未知の感覚は、現実よりもゲームの世界のほうが、ずっと分かりやすかった。


中学校に入るまでは、母親は仕事をしていたので、

欲しいゲームはそれなりに買ってもらえていました。

生活保護になってからも、お金があり機嫌の良さそうな時には、お願いしてお金を貰いゲームを買っていました。


一番最初に手にしたゲーム機は、

祖母からもらった白黒の初代ゲームボーイだったと思います。

今振り返ると、祖母も含めて、倫理観が完全にぶっ壊れていた家庭だったと思います。

(この時のゲームボーイが曰く付きの物だった話はまた別の機会に…)


小学生の時、僕の誕生日に母親にマクドナルドへ連れて行ってもらったことがあります。
店内ではしゃいで遊んでいた僕は、転んで頭を打ってしまいました。
その時、心配されるどころか、怒鳴られ、打ったところをさらに叩かれたことを覚えています。

帰りの車の中で一人泣いていた時、

怒っていた母親からは「おめでとう」の言葉もなく、

無言で誕生日プレゼントとして渡された

『まじかる☆タルるートくん』のゲームボーイカセット。
あの時の悲しさと嬉しさは、今でもはっきり覚えています。

振り返ってみると、あの環境の中で、どんなに追い詰められていても、
僕が生き続けることができた理由のひとつは、間違いなくゲームでした。

僕にとってゲームは、ただの遊びではありません。

どんな暗闇の中でも僕をずっと照らし続けてくれた希望の光だったのです。


大げさかもしれませんが、ゲームに命を救ってもらった、そう感じています。
だから今、あの頃の僕を支えてくれたゲームに、
何かしらの形で恩返しがしたい。

そんな気持ちを、ずっと抱えて生きています


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次回はスーファミとの出会いについてお話ししたいと思います。
それでは(* 'ω')ノ