こんにちは。
願いが叶う❣️マヤ暦の正しい使い方
講師のもここです🍀
わたしは、
今がどんな状況でも「マヤ暦」を使えば人生を逆転できる!
望む状況を手に入れられる!
という事をお伝えしているのですが
でも、
「それって、ホントなの~???」
ってきっと皆さま思ってしまいますよね。
ということで、私自身に起こった変化のストーリーを今日は紹介してみたいと思います!
ところで突然ですが質問です
みなさまは、家のお金を使い果たしてゼロになった経験はありますか?
はい!!あります!!
・・・という方は少ないと思うのですが、実はわたしは「あること」にのめりこみ、
主人に内緒で我が家の貯金を使い果たしてしまったという大失敗をしたことがあります。
当時は、本当に毎日がどん底
どうにか抜け出そうとすればするほど底なし沼にはまっていくような負のスパイラル状態でした。
夫婦の信頼関係も壊れ、子供達との仲は最悪、
ママ友以外の友達を作るもトラウマ級のいじめにあうし、お金はない、夢に破れて、この先どうしよう・・
ところがそこから「マヤ暦」に出会った事で、数々のミラクルを引き寄せたんです
主人のミラクル出世、子供の受験合格、
わたしもマヤ暦を仕事にする事ができて
さらには関わった人がみんな最初は経営が伸び悩んでいたのにマヤ暦を使って大繁盛していく!
そんな実話を詳しくお伝えしますね!
人生の大失敗!家のお金がすっからかんになるまで!
元々は、わたしは九州ののどかな田舎で生まれ育ち学生時代は色んなコンクールなど
ほんの少し頑張ればなんらかの賞をもらう、
市の陸上競技大会に出れば3位。
など一番ではないけどそこそこ優秀?
いや、そこそこ運のいい子でした。
高校も「近いから」と言う理由で家から徒歩5分の高校に進学。
そしてその後、高卒で社会人になるのが嫌で
高校から「推薦」をもらい進学しました。
進学後直ぐに(当時はバブル時代!)求人も沢山あった時代で、学校にきていた航空会社の中途採用の案内を先生に勧められるまま「なんとなく」受けると運よく合格。
航空会社に入社し空港で働くことになりました。
空港での仕事もすっかり慣れて仕事もプライベートも楽しく過ごしていたのですが
ある日車の追突事故に会い膝を痛め航空会社を退職することに…
「次の仕事どうしよう…」思う間もなく、
というか実際には入院中に安定企業のとてもいい会社から事務職として採用のオファーを頂き入社試験もなしの顔パス入社。
と、またもやなんとなく運のいい独身時代を過ごしました。
そう、人生前半はこのように、比較的「運の良さ」でスルスル~っと何でもうまくいってたんです。
その後、結婚退職→専業主婦に。
夫の転勤に付き合い国内外を3.4年に一度引っ越しするという遊牧民生活のスタート。
子供が幼いころは転勤も旅感覚で楽しめて
いましたが…
上の子が小学生になり、我が家では3度目の引っ越し…まだあどけなさが残るわが子が
転校を嫌がり号泣する姿を見た時胸が痛みました。
「私がこの子たちを守らなきゃ」「私がこの子たちを幸せにしなきゃ」と心に誓いました。
でもこの誓いが段々と子供たちを苦しめてしまい
そして、自分も苦しめることになるのです。
海外でお受験にのめりこみ、人生転落の道へ・・・
転勤で海外へ行ったわたし。
最初の2,3年は親子で初の海外生活を楽しんでいましたが
上の子の受験の準備が始まり、わたしは一変してしまいました
上の子の同級生達が優秀過ぎたのです!
薄々は気づいていたのですが海外での勤務地は
大手日本企業のお偉いさんたちが集まる地区。
元々の子育ての仕方が違っていたのです。
なので、そのお子さん達も超優秀!今後のお受験のために一度は海外経験をさせておくか~というかんじできており高校の受験先は日本のトップ校だらけ!
それに比べ我が家の子供達は超平凡。
有名高校など夢のまた夢状態という事実を三者面談で初めて先生から聞いたのです。
そんなの当たり前です。わたしも我が子を有名高校に入れるための子育てをしてこなかったし
何なら引っ越しばかりで子供達をその土地になじませる事だけで精一杯でした。
でも環境とは怖いもので頑張ればよその子のようにうちの子もいけるんじゃないかと思ってしまったんです。
そこでわたしがとった行動は!
よその子より沢山勉強させること。
今までのわたしのようにそこそこの運の良さを使って帰国子女枠で有名高校に入学させよう🔥作戦でした。
下の子も(この時まだ小学校低学年)今から塾にかよわせとけばなんとかなる🔥で
日本企業の塾の全コースに通わせ、塾の合間を縫って日本人の家庭教師と外国語の先生を雇うと言う、今思うと有り得ない行動をとったのです。
当然我が家の通帳残高はあっという間に減っていきました。
なのに、成績はおもように伸びない…
怒りのあまり勉強の合間に見ていたスマホを取り上げ子供の目の前で水没させた事もあります。
海外生活最後の一年は、わたしのせいで最悪の思い出となってしまいました
その後、上の子をわたしが決めた日本の高校に通わせるために主人を海外に残し子供2人を連れて本帰国しました。
そして、帰国後にまたもやわたしがやらかしたことは「行きたくない」と言う下の子の気持ちなど完全無視の中学受験。
もうここまでくると親子の会話もなくなってしまいました…
同じ家に居ながらも一切顔を合わせない、会話もない最悪な生活のスタートです。
さみしさを抱えつつもすっからかんになってしまった我が家の通帳の数字を少しでも元に戻さなきゃと思い就職先を探しては面接に行きました。
すると、独身時代はあんなに簡単だった就活が…
40代後半のわたしを採用してくれる企業はどこにもなくやっとの思いで就けた仕事は東京都の最低賃金で週3日のパート勤務でした。
もうここまでくると「あの時、あんなに受験にのめり込まなければ…」「自分のためにもっと自己投資しておけばよかった…」などなど、後悔の気持ちばかりが押し寄せていたんです。
家にいる時は暇だからテレビやYouTubeを一日中見て過ごす日々。
貯金もない、お金もない、仕事もない、人生をかけて挑んだ受験に失敗。
そして子供との仲は最悪・・・。
「わたしの人生、なんでこんなことになっちゃったんだろう・・・」
優雅な駐在妻生活とはかけ離れた現実に、
自分がこの先、どんどん不運になっていくような錯覚にとらわれていました。
ところが、転機はそんなわたしにも訪れたんです!!!
当時テレビを見ていたら、ある占い師さんがこう言ったんです。
「運を良くすることなんてとっても簡単なんですよ。」
この言葉にわたしは「ピーン💡」と来たんです!
そうだ、わたしは本来、とっても運がよい人生を送っていたはず!
そこそこ運がよかったから今迄ずっと幸せだった。
ということは、運さえよくすれば以前の仲良し親子に戻れるかもしれないし、通帳残高も気にならない生活に戻れるはず!
そして、運を良くする方法を探し始めたのです。
では、そこからマヤ暦を正しく使って何が起こったのか!
数々のミラクル展開については、次の記事で書きますね。
是非、次回もお読みください^^
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
part②
part③
古代マヤ暦シンクロ協会認定講師
mococo
Kin 28 音響2
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