心配されるより信頼されたかったコドモ心 | こもり人の徒然備忘録

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猫とアートを愛するこもり人
生きづらさを抱える自分自身との対話の日々からの
あれこれ備忘録

私の母は心配性


私が幼い頃から

いい加減大きくなった今に至るまで

私は母にあれこれ心配されてきた



母から

「あなたの事が心配なのよ」と

言われると

『母に心配させている私はダメな子だ』と

自分責めしては

母に対する罪悪感を膨らませていた私





困り事を抱えているのは私で

それを何とかするのは私のはずなのだけど

母は

私にそれを抱えてほしくない

苦労を背負って欲しくないと

転ばぬ先の杖を差し出そうとする



自分はどうするか?

どうしたいかを考える間もなく差し出される

〘こうするべき〙の安全策


失敗しない方

間違えの無い方



母からすれば

一人っ子の娘への

深い愛情

親心で

何かと不自由の無いように

気にかけ

目をかけ

それが

「心配」という言葉になっていたのだろうかと

今の私は考えるけれど



本当に

私のことを想ってくれているのなら

「心配」よりも

「信頼」が欲しかった



私が私の困り事に

しっかり向き合って

私がどうしたいのかを考える

間が欲しかった



心配事は即断即決で解消されるべきと

答えを急かさずに

私が抱える困り事を乗り越えようと

試行錯誤することを

見守っていて欲しかった




心配することは

気にかけているからこそなのだろうけど

“心配されないようになる”ことを

目指したコドモ心は

何とも不自由で

息苦しいものでした




失敗から学ぶこと

間違いから学ぶこと


自分で考えて

自分が納得して

選んで

自分の人生を歩むこと




私がどんな生き方を選んでもいいと

私の想いを尊重してくれるのなら

私のことを本当に大事に思ってくれているのなら

あなたの娘である私のことを

失敗作と心配するより

私の娘なんだから大丈夫と

信頼してもらいたい




何となく吐き出したくなった

母への想いの独り言